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諏訪明神 大武川村

 甲斐国志刊行会編『甲斐国志』から、〔諏訪明神 大武川村〕を転載しました。読みやすいようにカナはひらがなに替え、句読点も加えました。旧字も一部常用漢字に代えてあります。

 大武川村に鎮座す。(中略)この村釜無川を分界とし東北は総て諏方領なり。上教来石村の山口番所より三十二町余あり。
 社記に曰く、上世建御名方ノ命出雲ノ国よりこの地に至り、武御甕槌ノ命(たけみかづちのみこと)と誓を為し始めて和議調いし所なり。川を隔てて東南の方諏方領上蔦木村に武御甕槌ノ命の旧蹟あり。其の北を神代村・机村・烏帽子新田と云う。本村に封せり土人上世の古事を云伝えたり。
 其の後、崇神天皇の御宇建沼河別ノ命東征の功によりて本州西辺の地に封ぜられ、その孫大臣ノ命また須波ノ国造に任ぜられその祖廟をここに建てたり。
 下ノ諏方武居祝の旧記(※1)に、諏方明神上ノ社下ノ社の外に本祠を加えて三箇所の諏方と称し、中ノ社と記せり。上ノ社下ノ社は一対にて名の如し。本祠は山川の分界ありて地理を異にす。しかるに中ノ社と云うは上中下の次第に非ず。この方を内としてこの如く称せしならん。上ノ社は乾位(いぬい・北西)へ向い、下ノ社は酉(とり・西)の方へ向い、中ノ社は艮(うしとら・東北)隅へ向えり。
 中ノ社の祭礼は年に三十二度なり。およそ甲斐ノ国内に八箇の石を置き、八箇の木を植え、八箇の剣を祀りて国ノ鎮めとする所は皆大武川明神の末社なりと云。又、七奇を載せたり。足跡石(※2)、赤石(※3)、塩沢ノ湯福泉(※4)、釜無川(※5)、鹿島石(※6)、大臣ノ池(※7)、もし国に変災ある時は予め七所に其の応ありと云う。又、大武川岩は祠西釜無川の水岸にあり。縦横五十歩許なるべし。この外乗鞍石、小袋石、小玉石 転(ころび)石とも云、母石等の名石多し。鳥原以下の諸社皆白須神主兼帯す。

(※1) 全部十三巻ありしに散逸の余り三巻を伝う。
(※2) 祠前にあり。千曳石・道反り石・将軍石・長命石とも云う。
(※3) 村内に在り。国に凶事ある時は必ず汗すと云う。
(※4) 水色常に白し。
(※5) 本祠より下流には潭(ふち)なし。
(※6) 上蔦木村にあり。水を出す。
(※7) 鳥原村王大神祠辺りにあり。大旱にも水涸れず。

 潭マーキングした、「諏訪七石・七木」に「一」を加えた「八箇の石と木」が気になります。調べたわけではありませんが、今のところ「八」に関した事跡は聞いていません。
 「足跡石」は、拝殿前方の境内の端に大石がありました。「赤石」は、国道沿いに赤石ドライブインがありますが…(不明)。「塩沢ノ湯福泉」は塩沢温泉で、湯が白濁しています。「釜無川」は、釜(=淵・潭(ふち))が無い川。「鹿島石」は、富士見町蔦木にある鹿島社の大石でしょうか。「大臣ノ池」は、別項として以下に挙げました。

往大神社の「大臣の池」

往大神社の「大臣の池」 往大神社を参拝していたので、池の写真が用意できました。
 これが、往大神社の「大臣の池」です。祭神の「櫛磐間戸(くしいわまど)神は門戸の守護神で、社前の泉はどんな旱天にも枯れることなく長く里人の飲用水として利用された」と案内板にありました。


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