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小倉明神の薙鎌 北安曇郡小谷村 21.6.11

 信濃史料刊行会『新編信濃史料叢書』に『信府統記』(1724)が収録してあります。〔信濃国郡境記巻四〕から[安曇郡]の小倉明神を転載しました。

一、小倉明神 越後国にても小倉と称ぶ、諏訪明神を勧請す、
此所は戸土村より、戸土沢の川の橋々を渡り、押廻る(※ぐるぐるまわる)と云う、枝村あり、是より中俣村(戸土中俣村ともに、上谷中谷の内)あり、中俣川を越えて東に明神の宮あり、此辺山中なり、昔越後より此地に新畑を開き、又山野の草木を伐取り界論(※境争い)を企てる年ありといえども、界竟(ついに)(かたより)の証(あかし)分明(ぶんみょう※明らか)にて、御裁許の後は止まりぬ、

 神社の記述より「国境争い」の方がメインになっています。松本藩の言い分が通ったということでしょう。

小倉明神

 正しくは、小倉明神を「小倉明神社」と称すべきですが、「小倉明神」が一般的なので「社」を付けないことにしました。今年は、その小倉明神で「式年薙鎌打ち神事」があります。前回の平成15年にその神事が行われた「境ノ宮」はすでに参拝していますから、情報収集を兼ねて「小倉明神はどこにあるか」をネットで調べてみました。ところが、「塩の道」に“絡んだ”境ノ宮と違い、鎮座場所は特定できませんでした。
 「中股小倉明神」の名称があります。国土地理院の地図に「中股」とありますから、その「どこか」にあることだけは間違いありません。大宮諏訪神社のHPでは「お宮の下の林道から猿田彦を先頭に薙鎌行列が細い刈り株(かりばね)を神社に向かった」と書いていますから、距離はわかりませんが「登山道のような道」が浮かび上がってきます。しかし、推測と想像では何も始まりません。「戸土から中股へ繋がる一本線」の道をプリントアウトして、いつもの「何とかなるさ」で出かけました。

中股

 地図に「鳥居の凡例」があります。これを境ノ宮としたので、「白池分岐」まで行ってしまいました。間違いとわかったので、その道中にあった「記念碑の凡例」が「源泉4キロから引いた二基の水タンク」と確定でき、その場所を基点にすると、ようやく轍(わだち)以外は草で覆われた林道に入り直すことができました。目指すは終点の中股の集落です。

小倉明神 集落を越え中股沢を見下ろす場所まで来ましたが、道標がないのでここで立ち往生してしまいました。たまたま行き会ったおばあさんに問うと、何と「案内する」と言います。腰が曲がった姿を見て、一度は「場所だけで」と辞退しましたが、隣家へでも行くような調子なので再三の申し出を受けることにしました。

小倉明神社

 中央上の緑塊が小倉明神の杜です。大きく右から回り込み、切り落ちた斜面に刻んだような小道を伝います。これが「細い刈り株道」でしょう。私はビブラム底の靴ですが、おばあさんは途中で拾った杖代わりの枝と長靴の三点支持で、谷川に傾いた道をゆっくりですが確実に登っていきます。会ってすぐの会話で85才と知っていましたから、一息ついたときに「大丈夫ですか」と気遣うと、「目はよく見える」と笑いました。

「新潟」小倉明神 境内は小山の頂部といった場所なので、社殿の周囲しか平地がありません。早くも、今年8月の鎌打神事を直接参観できるのは一握りの関係者だけ、と事情がわかってしまいました。余程のコネがない限り「ご遠慮下さい」の仲間入りでしょうか。
 「境内は、あのカエデの辺りまであって広かったが、次第に崩れて狭くなってしまった」と指を差します。小谷は地滑りの常習地です。下の中股沢の大掛かりな改修工事を見ましたから、小倉明神の鎮座地もこの先が心配されました。

小倉明神本殿

小倉明神本殿 「掃除をしていく」と言うので、私も手伝うことにしました。扉を開けると、…大きなカマドウマが一斉に奥に逃げて行くのが見えました。畳の上には糞の小山が幾つかあります。拝殿の外壁に5、6センチの穴がありましたから、それに見合う小動物の置き土産でしょう。一冬世話になったのだから、羽が無くても「あとを濁さず」だろう、と怒ってみましたが…。
 おばあさんが作ったのでしょう。ホウキ草のホウキが二本あったので、手分けして掃き出しました。おばあさんに倣って、拝殿の周囲にたまった杉の枯葉は、木の枝でかき集めて境外に落としました。拝殿の真後ろにある大正の石祠も手で杉葉を払い、前の草を手でちぎり取るという「手作業」になりました。
 本殿上の掲額は、昭和48年の「薙鎌打神事祝詞」でした。当時の「三輪磐根宮司」の名が見えます。その頃は、神社には全く縁(興味)がなかったので、年を重ねたとは言え、今こうして奉仕をしている自分の姿がおかしく思えました。

小倉明神の薙鎌

小倉明神社の薙鎌 上から三番目の、下部が重なりましたが、クチバシが開いているのが平成9年に打ち込まれた薙鎌です。確認できるものだけで5枚ありますから、神事が復活してから30年以上の歴史があることになります。
 私がお願いしたという“道行”ですから、何かあったらおばあさんに申し訳が立ちません。しかし、杞憂でした。同い年とあって私の母に重ねた彼女は腰こそ曲がっていますが、下山時にはマムシを捕まえるなどしっかりしたものでした。

 季節柄でしょうか、戸土から下る林道でもマムシを見ました。道の真ん中に、半とぐろの状態で動きを止めています。地元の住人ではありませんから駆除の必要はありませんし、焼酎漬用に生け捕る気もありません。私は、諏訪明神の見送りとしましたが、それでも大きく迂回してしまいました。今日は、「神社の掃除」というプレミアムオプションが付いた充実した小倉明神社詣でになりました。

 二ヶ月経った8月31日。小倉明神の「式年薙鎌打ち神事」を参観しました。その時におばあさんに再会し、ススキの葉で縛って持ち帰った「マムシ」をどうしたのか聞いてみました。「干した」と言いましたが…。
 小倉明神は、川向こうにある和田家の氏神社でした。また、彼女が「和田のおばあさん」であることも知りました。