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乙事諏訪神社下社跡 諏訪郡富士見町乙事 20.4.20

乙事諏訪神社本殿 かつての乙事(おっこと)には諏訪神社上社と諏訪神社下社の二社があり、同じ地区内とあって「社殿の造営や祭りを競い合った」と『富士見町史』に書かれています。それが、諏訪神社上社の罹災から復興までの流れに地区が一丸となったのでしょう。昭和25年に上社の幣拝殿が復興されると、下社の本殿を、消失した上社の本殿跡に移築して「乙事諏訪神社」と改称したそうです。
 写真は、幣拝殿と片拝殿の間から撮った乙事諏訪神社の本殿です。この社殿が旧諏訪神社下社の本殿ですから、やはり、下社の旧鎮座地を見なければ片手落ちになります。

 諏訪大社に倣って、下社跡は「乙事諏訪神社より上(北)」と見当をつけました。左右を注視しながら緩やかな坂を上ります。たまには的中しますが、“見当法”の結果は“空歩き”に終わりました。
 農作業帰りの男性に声を掛けると、目標になるものを挙げて詳しく教えてくれます。しかし、その「基点」が私にはチンプンカンプンです。大ざっぱですが「乙事諏訪神社よりずっと下」に従い、こんもりした木々の塊を「鎮守の杜」と信じて、その度に幹線道路と脇道を往復しました。

乙事諏訪神社下社跡

 傾斜がある八ヶ岳の裾野ですから、平地を造成すれば下方が段になります。その石垣の下から仰ぐと遊具が見えます。「神社跡地の公園化は充分考えられる」として回り込むと、石段上に鳥居がありました。鳥居額が「諏訪神社」ですからほぼ間違いありません。場所は、私のスケールである「ずっと」よりかなり下で、中央自動車道が目の前に見えます。

乙事諏訪神社下社跡 「(無いはずの)本殿があったらどうしよう」も杞憂(きゆう)に終わり、正面に大きな「諏訪神社下社跡」の石柱を確認しました。まだ桜はチラホラで、日陰の境内に空腹が加わり肌寒さを感じました。


乙事諏訪神社下社跡 境内を一回りすると、分解された神灯が“ただの石”となって置かれています。円筒の竿を見て、これは古いかもしれないと確かめると享保九年(1724)でした。乙事諏訪神社上社へ本殿が移転しても境内社は健在で、秋葉社や、道路拡張で現在位置に移されたとある「三峯社」と「弓箭(ゆみや)神社」がありました。