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中谷 大宮諏訪神社と式年薙鎌奉献祭 北安曇郡小谷村

■ 長野県神社庁の表記は「大宮諏訪神社」ですが、飯田市にも同名の神社があるので、中谷大宮諏訪神社としました。

 平成15年6月29日、小谷(おたり)郷総鎮守である中谷大宮諏訪神社の石段を登り切ると、湿度100%を越えようかという境内に出ました。

中谷 大宮諏訪神社

大宮諏訪神社の拝殿

 さらに続く石段の上に拝殿が見え、「大宮大明神」の社殿額が掛かっています。案内板がないので、参道入口にある新しい灯籠に、諏訪大社上社の神紋「諏訪梶」が刻まれているのが唯一の諏訪神社の証しとなりました。村民は誰もが知っている「小谷村の旧郷社である諏訪神社」です。村外からの参拝者は少ないようですから、案内板などは設置する必要性がないのでしょう。
 まずは、社殿より薙鎌です。傍らの杉を仰ぎますが、大木とあって、ささくれた皮も厚く大きいため区別がつきません。何本かの候補木をなめるように探索しましたが見つかりません。拝殿の横に回り込むと、注連縄が掛けられた大杉がありました。この神木に間違いないと目を凝らしますが、首の筋肉が軋(きし)んだだけで、木にとっては傍(はた)迷惑な錆びた金属板を拝むことはできませんでした。

中谷大宮諏訪神社の本殿 拝殿と覆屋を結ぶ廊が全て囲われているのを見て、ここが豪雪地帯であることを思い起こしました。
 拝殿には所構わず穴が空いています。径5センチくらいでしょうか、節が抜けたのではなく小動物が開けたようです。格好の越冬地として利用されているのでしょう。神社側もそれを容認しているようで修理をした形跡がありません。
 長野県宝の本殿は一間社流造・こけら葺で、元和五年(1619)に小谷郷の太田九兵衛正勝が造立し大町の工匠金原周防守が造ったとありますが、覆屋があるので拝観することはできませんでした。
 拝殿前に戻り、改めて拝礼をしました。廻縁に、薙鎌をかたどった「数量限定販売」とある御守が置かれています。「無人販売」という形式ですが、売れた様子はありませんでした。
 プラケースに入った参拝記帳の冊子も置いてあります。今年に入ってからの記入がないため、筆ペンの乾燥を心配しましたが杞憂でした。通常は書き込むことはない「15(年)」に6.29を加え、「住所を詳しく」とあるので番地まで書き込みました。(お賽銭を上げなかったのに)来年は年賀状か、と見返りを期待してしまう自分を恥じながら境内を後にしました。

薙鎌はどこに
 断片化した文字ばかりという記憶のページを戻してみました。「大宮諏訪神社には薙鎌が無い」という現状から、引き算で、後は「境ノ宮」しかありません。「越後の国が見える」を思い出し、短絡的に山に向かう道を辿りました。
 ところが、それらしい案内表示は全くありません。歩くことには抵抗はありませんが、終着がないかも知れないという車道歩きには不安がつきまといます。人家は何軒かありますが、そこには人の気配が全く感じられません。そんな中で、畦で草刈りをしている男性を見つけました。
 早速と意気込んだのですが、「薙鎌」のキーワードには反応がありません。「境ノ宮」や「白池」を持ち出すと、ようやく「それは北小谷」と返ってきました。話を総合して「薙鎌神事を執り行うのが大宮諏訪神社で、薙鎌を打ち込む神木があるのが境ノ宮」と、ここで初めて理解しました。
 「県境にあるからこそ境ノ宮」で、「大宮諏訪神社の近辺にある」というのは、情報不足から来た思い込みでした。立ちつくしている自分に、「神代文字という融通大念仏供養碑を見ることができたから徒労ではない」と言い聞かせましたが…。
 「日本海が見える長野県唯一の神社」のコピーがある境ノ宮は、ここからは山の向こう側です。しかし、車を利用した場合の最短ルートは新潟県側なので、今日は諦めました。

中谷大宮諏訪神社の式年薙鎌奉献祭

薙鎌の御幸

 平成15年から6年経ち、諏訪大社や御柱祭に関する知識は格段に増えました。御柱祭前年となる平成21年8月30日、大宮諏訪神社の例大祭と薙鎌打ち神事に楽士として参加する知人に同行して、再び小谷の里を訪ねました。この日は台風が関東に接近ということですが、午後には青空が広がりました。
式年薙鎌奉献祭「唐櫃」 今日は大宮諏訪神社の例大祭ですが、「式年薙鎌奉献祭」を兼ねています。そのため、祭礼の行列の中に、諏訪大社から奉献する薙鎌を入れた唐櫃が加わります。
 午後1時過ぎ、紋付き袴で正装した小谷の氏子に担がれた薙鎌は、旧庄屋の太田家から神社に向かいます。距離は短いのですが、行列の前が重い神輿とあって何回も休憩をとります。後方は、子供たちを含めた太鼓や笛のお囃子が続きます。汗ばむほどの日射しに、木陰が恋しいほどの祭り日和となりました。
 出発進行の合図は、下諏訪町から駆け付けた「木遣り保存会」の木遣りです。来年は御柱祭とあってすでに声は出来上がっており、完璧な鳴きを見せました。3年前から例大祭に応援参加し、過疎で氏子が減った祭りを盛り上げているそうです。
 境内は鬱蒼と繁った杜の底とあって、汗が退くと共に肌寒さを感じました。狂拍子・奴踊り・獅子舞の奉納が終わると3時半でした。

薙鎌奉献祭

大宮諏訪神社「式年薙鎌奉献祭」 例大祭の神事が始まりましたが、拝殿前からは本殿へ奉献する薙鎌が見られません。そのため、拝殿裏・本殿下という位置に移動して待機した結果、例大祭の内容は「神事次第の声だけ」になりました。
 諏訪大社宮司から薙鎌を受けた大宮諏訪神社の宮司が、上壇の本殿へ向かいます。
式年薙鎌奉献祭 薙鎌は本殿内に安置されましたが、この位置からはどのように納めたのかは見えません。宮司は下壇に戻らず、玉串奉奠が終わるまで本殿前に詰めていました。身じろぎもしない後ろ姿に、「薙鎌打ち神事を再興してから今日に至るまでの経緯を懐古していた」と宮司の心中を想像してみました。写真は諏訪大社宮司の奉奠です。
 長く思えた撤饌が終わり、警蹕が流れる中で「閉扉の儀」が行われ、6年に一回の薙鎌奉献祭は終わりました。拝殿前に戻ると、参観者は数人という“祭りの後”になっていました。