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蘭諏訪神社 南木曽町 吾妻 蘭 20.8.7

 このページを書き始めるまで、南木曽町吾妻(なぎそまちあずま)の「蘭」を「らん」と読んでいました。ところが、「例祭日」など補足できるものがないかと調べる中で、「あららぎ」ではないかと思えてきました。「あららぎ」を変換すると「蘭・アララギ」しか表示しませんから、「あららぎ」で間違いないでしょう。
 辞書を開くと、以下のようにありました。

【あららぎ】 植物 イチイ・ノビルの古名。[表記]後者は「蘭」と書く。

三省堂『新明解国語辞典』

 あの『アララギ』とも違うこともわかり、諏訪神社がある「蘭の里」のイメージが「ノビル」で低下してしまいました。しかし、下調べの段階から「らん」で、ファイルネームも「ran.htm」としていましたから、漢字では何も変わらない「蘭」でいくことにしました。

 木曽から清内路へ向かう国道256号から、「南木曽山麓蘭キャンプ場」の標識がある林道を登ります。GPSの指示と大きなカーブのために幅員が広くなった場所が重なったので、その最大幅の隅を駐車場代わりとしました。
 田圃の中の簡易舗装された道に、通せんぼするように細いヒモが張られています。表面の荒い編み目が金属のようにも見えるその端を目で追うと、…電柱まで延びています。「これはもしかして」と触らないように大きく跨ぎました。感電しても100Vですが、それでも慎重になってしまいました。もう一回跨ぐと、突き当たりが諏訪神社でした。

蘭諏訪神社

蘭の集落

 左に回り込むと棚田が見下ろせ、それに合わせるように一本の道に沿って家々が少しずつ屋根を下げています。石鳥居の前に立つと、諏訪神社が集落の最上部にあることがわかりました。
 先ほどまでいた馬篭(まごめ)や神坂(みさか)と比べれば格段に風の涼しさを感じます。それでも、日陰があればつい足が向いてしまうのは、夏に「盛」の接頭語が付いているからでしょうか。少しの間軒を借りようと、大きく開放された倉庫にも見える建物の中を覗いてみました。最近お祭りがあったのでしょうか、三方の壁に奉賛金が書かれた半紙が途切れることなく貼ってあります。読んでも「どこそこの誰」とはわかりませんが、いつの間にか名前と金額の多少を比べていました。

蘭諏訪神社 右に手水舎があります。沢水が半割りした竹に乗って運ばれてきています。通常の手水は水道ですから、“掛け流し”の「蘭諏訪神社の水」は涼味満点です。手ぬぐいも掛かっています。この設定では、いやでも手水を使ってみたくなります。まず、右手ですくった水を左手に…、とイメージで確認してから竹筒のヒシャクを手にしました。付け焼き刃ながら、蕩蕩と流れる音を聞きながら手と口をさわやか(清浄)にしました。
 石橋があっても空川が多いのですが、ここでは手水舎からの水音が連続して境内を横切っています。宝暦2年(1752)の神灯を確認してからその石橋を渡り(跨ぎ)ました。

蘭諏訪神社 拝殿は柱だけで壁がありません。その代わりというか、三方に高欄があり神楽殿を兼ねたようなシャレた造りです。蘭の人々が諏訪神社に入れる思いの深さ、でしょうか。奥に階段が見えます。上壇にある本殿へ続いていますが、その社殿は見えません。
 外来者の参拝はまったく想定していないのでしょう。よくある「禁止」の表示がありません。それを盾に、かなり悩みましたが、これも「一期一会」と本殿の拝観を決めました。廻廊で繋がれた御影石の石段を登りきると、覆屋の下に一間社流造の本殿が鎮座していました。一部に、その色から桧と思われる木肌が見えますから最近改築されたようです。本殿の写真ですが、言わば他所の家に無断で上がり込んだようなものですから紹介するのは控えました。

灯篭 境内左の山手に案内板があるのに気が付きました。近づくと、その背後にある燈籠の「由来」でした。読み始めてはみたものの、余りにも字が薄れているので、写真に撮って自宅でじっくり読むことにしました。
 改めてその燈籠を見つめると、「火袋」と呼ぶ部分に、明かりを入れる「くり抜き」がありません。「通常」という言い方も変ですが、火袋はその構造から、笠と宝珠の重みに耐えかねて押しつぶされることがあります。そのため、古い燈籠ほど、火袋だけが後世に補完されているのをよく見ます。中には「笠と竿だけ」というのも見受けます。ここでは、耐久性を考慮して火袋の“絵”を彫り込んだのでしょうか。私には、燈籠ではなく、何か別の石造物の一部に見えました。

 「なぜ、ここに来たのだろう」と思うことがあります。たいがいは目的を達した後にその自問が不意に“襲って”きますが、その自答になりきれないモヤモヤとしたモノが、(頭の中ではなく)胸一杯に広がってくるのが感覚としてわかります。今回も、緑濃い山間の集落を眺めて「なぜここに」と立ち止まってしまいました。しかし、いつもの通り、一歩踏み出したら、テレビのチャンネルを切り替えたように胸の締め付け感は消えていました。次は、広瀬の諏訪神社です。

「燈籠の由来」

 写真を拡大して文字に替えました。は読み取れなかった字です。「上段」部落は、地図で地名と確認しました。

燈籠の由来
此の燈籠は今より約百五十年以前のものと推定されます
昔権現平(当地)の水害により流失し下流約三百米地点より発見され上段部落の協力を頂き神官の御祓いぎ長年眠り続け今年発見された当時の燈籠奉納者の霊を改めて安置したものです
我々が益々村社としての尊い守り神諏訪神社を仰ぎ氏子として大切に信迎し過疎化を防ぎ住みよい楽しい里にしませう
 昭和五十八年十月吉日
蘭諏訪神社・役員一同・総代青木一平 

 「改めて読むと、傍線部分の神仏を混同したような箇所が何か変です」と、これで改行するはずでした。しかし、「神様仏様」という「神仏混淆」は現在でも意識しないまま生きています。土地の人々の思いを大切にした方が自然、と容認することにしました。

諏訪神社 創建は不明だが、最も古い棟札に延宝5年(1667)11月21日とある。(観音堂の書き上げより)

『南木曽町誌』から〔村の神社仏閣〕
 妻籠宿の延宝六年の書き上げに、「当村在郷氏神 諏訪大明神 一社、地檀、拝殿、宮地内(略)除地」とある。
 寛永九年個人の氏神を村民の総意で村の産土神にしたといわれている。しかし、他に南宮や熊野の社を祀る一族もあるのに、広瀬と共に諏訪社を祀っている経緯はどんなことであろうか。いつ頃勧請したしたかは分からない。
長野県教育委員会編『歴史の道調査報告書』〔大平街道〕