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諏訪形神社 松川町上片桐 21.4.8

 私は長野県神社庁のリストを見て、同じ「上片桐」にある「諏訪形神社」と「御射山神社」が、それぞれ「諏訪大社」と「御射山社」に対応すると睨んでいました。

 先ほど御射山神社を参拝したのですが、今日はすでに四社目となっていたので、やや神社疲れをしています。ただ参拝するのなら構いませんが、これを文字にまとめるとなると、メモしたくらいではこんがらかってしまいます。しかし、「対」になると思われる諏訪形神社ですから、今日のまとめとして参拝することにしました。

諏訪形神社 大きな「諏訪形神社」の社標を見て石段を上がり、鳥居をくぐります。「御射山神社」参拝の直後ですから、こぢんまりした境内がさらに狭く見えます。まだ2時過ぎという時間ですが、梢を透かして見える空以上に暗く感じました。

諏訪形神社 参道から見えていた拝殿の左手前の柱は「御柱」でした。右側にも「こっちも見て」という感じで御柱がありました。
 この位置では二本しか見当たりません。諏訪形神社では拝殿の裏にありそうですが、まずは拝礼です。その前に仰いだ拝殿の大棟に、幾らか金メッキが残る「諏訪梶」の神紋が見えました。

諏訪形神社「本殿」 拝殿の大きさに“ふさわしく”、こぢんまりした本殿でした。ここも提灯ではなくぼんぼりが上壇と下壇の左右に置かれています。下伊那ではこれが主流のようです、と言っても今のところ二社だけなので何とも…。左右に小さな社殿が並んでいますが、暗すぎて手掛かりは全くつかめません。

諏訪形神社「御柱」 裏に廻ると、御柱が倒れていました。御柱は擦り傷程度の“怪我”のようですが、その“功名”で、私には頂部の形が「平」とよくわかりました。直前に見た御射山神社の御柱は下から仰ぐだけなので「四角錐」と思っていましたが、同地区なので、頂部は平に落としてあるかもしれません。
 気になるのが「倒れ方」です。私には、イタズラで倒されたようにしか見えません。川沿いで片側が一軒だけという場所ですから、その可能性は充分にあります。

「電車記念」謎の石柱 本殿の後ろにあった、私には「謎の石柱」です。「大正十一年電車記念・上片桐伊那大島間 東京(某)」とあります。両駅間を乗っただけでは記念になりませんから、念願の、国鉄飯田線の両駅が繋がったということでしょうか。または、開通に尽力を尽くした人が自分を記念したということでしょうか。舌足らず(説明不足)の「電車記念」にあれこれ想像してしまいました。
 このまま書き終えるのも、と「飯田線開通・上片桐・伊那大島」でサイト検索をすると、トップに『飯田線各駅停車』が表示しました。同ページの「駅の歴史」に「1922(大正11)年7月13日、伊那電気鉄道上片桐〜伊那大島間延伸開通」とありました。「大正十一年・電車記念」は、両駅の「延伸開通」でした。また、当時は「国鉄」ではなく「私鉄」であったというオマケも付きました。後は、東京の「某」さんとの関わりですが、これは本人が名乗りを挙げてくれなければ…。

諏訪形神社と御射山神社の関係

『上片桐村誌』 本社は字諏訪形に鎮座し、祭神は建御名方命である。創立の年月日は不祥であるが、鎮座地の「諏訪形」は諏訪県(あがた)のことでおそらくこの地に諏訪社領があったものであろう。諏訪史料守矢文書中天正年間のものに「神長知行之書」というものがあり、その中に「片桐郷 三貫文」をのせてある。諏訪形神社の祭神は、この神長官知行地の鎮守であろうと思われる。県(あがた)というのは地域の呼称であるから、諏訪神長官の知行地域をさしたものであろう。それが諏訪県すなわち諏訪形で、その産土神として地域住民の崇敬するところとなったものであろう。
上片桐村誌編纂委員会『上片桐村誌』から抜粋

 探した史料ですが、両神社の繋がりは書いてありませんでした。


‖サイト内リンク‖ 「御射山神社」