道路地図にある「上名久井諏訪神社」をカーナビにセットする際に、大まかな地点として近くにある「諏訪ノ平」駅を表示させました。参拝を終えたので、通り道だから「青い森鉄道」の“諏訪駅”にも寄ってみよう、と再びカーナビに行き先を任せました。
駅舎には確かに「諏訪ノ平」と書いてあります。青森といっても秋田県に近いのですが、ここで「諏訪」の字を目にすると何か変な感じです。
無人駅なのでフリーパスでホームに出ると、アナウンスです。「駅員がいないのにどうやって」は別として、上りも下りもわからない電車が停まりました。「青森」ではない「青い森」鉄道の“レールカラー”でしょうか、すでに夕刻ですが車体の青ラインが鮮やかです。駅舎よりその色が印象に残ったので、「この一枚」としてを載せました。
駅前は旧街道の雰囲気がありますが、車の往来はなく閑散としています。地図では国道が駅を避けるように大きく弧を描いていますから、短いながらもバイパスが新設されたのでしょう。
「いつまでもゆっくりしていられない」と国道を前にしますが、通勤時間帯の一時停止では左折することさえできません。何回か左右を確認していると、右側が玉垣であることに気がつきました。「南部藩主祈祷社」とある「諏訪神社」の文字も見えます。何しろ「諏訪神社の旅」です、パスはできません。そういえば駅前に鳥居があった、とバックのまま再び駅へ引き返しました。
駅前にある美容院の前で、今しも女性二人が車に乗り込もうとしています。問うと、ここには諏訪神社が三つあると返ってきました。「名前」を訊くといずれも「諏訪神社」です。どうやって区別しているのかを聞きたかったのですが、それ以上引き留めることはできませんでした。
南部町付近にある諏訪神社三社のうち、唯一道路地図に載っていた「上名久井」を訪れたのですが、もうこのままでは帰れません。とりあえず、一分と掛からない赤い鳥居の前に立ちました。社標は「諏訪神社」でした。
拝殿内をうかがうと、額に、ここが諏訪神社であるから読めた「諏訪祠」があります。正式な書体と思いますが、つい「諏・訪の言偏の形が違う」とクレームをつけてしまいました。
カメラを向けると、余りの暗さに警告を表示しています。それを無視し、扉の枠にカメラを固定して撮りました。
拝殿を正面にすると、境内の左端に「夫婦稲荷神社」があります(上写真左端)。その前に立つと、右手奥の暗がりに紛れるように小さな社殿が見えます。世間一般で言う旅行ならば、すでに宿舎でくつろいでいる時間帯です。車中泊一人旅ならではの「成り行き」と、半ば破れかぶれの「とことん」の状態に陥っていますから、全て確認しないと気が収まりません。
近づくと「諏訪稲荷社」でした。「工事一式」に「(多分)夫婦名」が書かれていることから、個人の寄進で新造または建て替えたのでしょう。境内にはすでに「夫婦稲荷神社」がありますから、「諏訪」と固有名詞をつけたのでしょうか。東北は「稲荷社」が多く、車窓からもよく赤い鳥居が見えました。
諏訪稲荷社の前から本殿の覆屋を仰ぐと、千木の先端が平(内削ぎ)です。本殿ではなく本殿保護のための社殿なので、これを見て「祭神が女神」とは言い切れません。しかし、案内板がないので、持ち合わせは看板にある「南部藩主祈祷所」だけです。由緒不詳の状態ですから、諏訪神社→諏訪大社→建御名方命の后神「八坂刀売命」から、主祭神は八坂刀売命である可能性が大きいとしました。
拝殿の右手に、注連縄が張られた枯れ木があります。保護のための屋根がありますから、かつては神木だったと思われます。しかし、見た目では「奇怪なオブジェ」としか写りません。
まだ厚い樹皮が残っています。全般に表面が黒いので、火災などで炭化して保存性が高まったとしましたが、防腐剤の色が残ったとも考えられます。
碑文に「梶」を見て、初めて枯れた梶とわかりました。続いて「百とせを三たびめぐり枯れ果てて…」を読んで、樹齢三百年を超えていたことに驚きました。青森の地に暖地性の梶がここまで育ったのが不思議です。
緯度で言えばはるかに低い長野県諏訪でもこれだけの大木はありません。諏訪大社の神木として手厚く保護されていても百年を超えると弱ってしまいます。降雪(量)に伴う湿度や風、また病害虫など、環境が「諏訪ノ平」の方が勝っているということでしょう。
自宅でメモしてあった住所から、残りの一社が「剣先諏訪神社」らしいことがわかります。ここから一駅圏内と思われますが、すでに6時半です。「鳥居が見えたら寄ろう」と際限のない諏訪神社巡りに制限をつけました。一時停止の直後に国道に合流できたのは単なるタイミングの問題でしょうが、参拝の後では「諏訪神社のご加護があった」と思えました。