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田頼諏訪神社 島根県安来市田頼町 20.5.18

 GPS内に「諏訪神社」は存在しませんでした。代わりに、道路地図にある「諏訪神社」を“移植”して「行き先」としました。目前と思われる交差点に、その1/4を占有しているコンビニがありました。これ幸いと駐車場を拝借し、道路地図を開きます。しかし、「鳥居」の大きさが「100m」にもなる1/10万の地図では、余りにも大ざっぱです。
 交差点をベースにして残りの三路線を往復しますが、それらしきものでさえも見つかりません。やはり「ウサギよりカメ」と、地道な方法を採ることにしました。

田頼諏訪神社

 徒歩でも諦めかけた目に、一基の灯籠が映りました。立ち止まって注視すると、個人の庭園用としては大き過ぎます。「これか」と視線を上にズラすと、小山の中腹に鳥居が見えました(左写真)。
 両隣の庭先に顔を向けないように、視線だけはチラチラと移動させながら通り抜けます。「神社の参拝」という大義名分はありますが、地元の人でも寄りつかない神社が多いので、洗濯物が干してあるとかなり気を遣います。
 下から見えた鳥居をくぐって上を仰ぐと、これは珍しい、という石柱2本と注連縄だけの「注連柱」です。参道を含めた灯籠には、文政・安政・寛政の銘ががありました。
 まず、境内左にある“鮮やかな”ブルーシートに目を奪われました。のぞくと、白木の木材が置かれています。ここからでも修復中とわかる本殿が見えますから、今は無人ですが、仮作業小屋とわかりました。木の香で深呼吸をして拝殿の前に立ってみました。

田頼諏訪神社鬼板「諏訪梶」 拝礼を済ませてから拝殿内の掲額を見ると、上部に神紋「諏訪梶」が描かれ、下は右から「八幡宮・諏訪神社・金刀比羅神社」でした。
 本殿屋根の鬼板は、見慣れた諏訪大社上社の「諏訪梶」でした。「諏訪神社」で「梶」紋を見ると、やはり“ホッと”します。祭神も長い歴史の中では浮き沈みがあるので、「諏訪」神社という名前でも全くその痕跡が残っていない場合があるからです。

田頼諏訪神社本殿

 本殿の彫刻は彩色されていますが、多分白と思われる絵の具が剥落または退色しているので、比較的残っている赤も映えません。銅板葺きの下に桧皮(ひわだ)が覗いていました。

田頼諏訪神社本殿 本殿そのものの修理は終わっているようです。現在は、回縁の部材を総取り替え中といったところでしょうか。大工さんが居れば、修理の“裏話”から本殿内部の見学まで期待できそうですが、大工仕事は掛け持ちが“常識”なので、戻るのを待つのは意味がありません。
 境内の左側だけに境内社が並んでいました。手前は、「奥田大明神」です。鳥居と狛犬を侍(はべ)らせていることから別格と思われますが、“何の”神様かわかりません。隣も、四社合祀ですが個人名のような祭神でした。地元の偉人を祭っているのでしょうか。奥には「保食神」とある瑞垣がありますが、祠がなく榊があるだけでした。
 地区の共同作業でしょうか、複数の草刈り機の甲高い音や話し声がこの境内まで伝わっていました。カメラをザックに戻すことで一つの集中した流れが止まると、その音がいつの間にか消えていたのに気が付きました。

 「安来」というと「ドジョウすくい」ですが、私は最近まで「やす」と発音していました。変換しても人名ばかりが表示するので、この過程で「やす」と覚えました。その安来市の郊外「田頼町」を地図で見てわかったのですが、この辺りはすでに「仲仙寺古墳群・岩舟古墳・足立美術館」と訪れていました。その時は、「田頼町」も「諏訪神社」も意識にないままその中を通りその前を通過していました。