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佐原諏訪神社(御手形神社) 下伊那郡豊丘村佐原 17.4.17

 そろそろ佐原諏訪神社に到着という頃、獅子舞とお囃子の行列に出会いました。遠慮しながらその脇をすり抜けると、その先が建御名方命の手形が残るという佐原諏訪神社でした。

佐原諏訪神社例祭

佐原諏訪神社(御手形神社)の獅子舞 駐車場探しに手間取ったため、神社と公民館の間にある広場では、すでに獅子舞が始まっています。佐原地区限定の祭りなので、男性陣は全員が獅子舞やお囃子に駆り出されたのでしょう。見守るのは奥さん方と子供だけでした。
 「佐原諏訪神社」は、私が便宜上付けた(地名を加えた)名称です。正式には「諏訪神社」ですが、鳥居額は「御手形(みてがた)」になっていました。左手の社務所を飾る幕は、諏訪大社下社の神紋「明神梶(五根梶)」です。正面が神域で、その中央に瑞垣で囲われた「手形石」がありました。その背後、最奥にある小さな社殿が本殿でしょうか。

佐原諏訪神社(御手形神社)の手形石 もうすぐ3時という斜光のせいなのか、または木漏れ日が強すぎるのか、あれこれと見る位置を変えましたが、手の形がまったく判別できません。訊くと、風化が進んだために分かりにくいとのことで、伝承とは別の「命(みこと)がこの石に手を付き(はるか下の)沢の水を飲んだ」という話をしてくれました。

佐原諏訪神社(御手形神社)の獅子頭 瑞垣の前には、今盛んに頭を振っている獅子とは別の獅子頭が置かれています。現役を退いた長老として、年一回の祭りを上座で見物しているのでしょう。桶に入った切りモチは、その数から投げ餅があることが期待できました。
 偶然に例祭のまっただ中に来たので、どんなプログラムがあるのか見当も付きません。ただ待ち見守るだけです。手形石を囲った瑞垣の前で獅子舞とお囃子の奉納が終わると直ちに片づけられ、それらに関わった氏子が整列しました。

佐原諏訪神社(御手形神社)の神事 神職は花粉症のようで、マスクを付けていました。神事の時は外しましたが、それが、春たけなわの例祭に何かふさわしく思えました。
 祝詞奏上などの神事が終わると、青のハッピの中に全くの普段着で浮いていた二組の夫婦がその役割を果たす時がきました。何歳児か分かりませんが、子供の健やかな成長を祈願する神事と思われます。ジーンズやTシャツ姿に目を留めて、「正装とまでは言わないが、こざっぱりした身なりでお祓いを受けるべきでは」と、まったくの部外者が心内でブツブツつぶやく中で一連の神事は終了しました。

 公民館前に戻ると、机にオデンなどの大鍋が置かれています。「遠くからよくいらっしゃいました」と勧められるのではないかと期待しましたが、近づくと有料の表示が…。空腹とあって、背に腹は代えられぬとザックの中を手探りしましたが、財布は車の中でした。
 境内から聞こえた「餅投げ」の声に、鍋を横目でにらんでから、そちらの方に期待するかと引き返しました。しかし、ハエが集(たか)っていたのを思い出したのでその中に加わることは止め、これを潮時にと車に戻りました。

豊丘村誌刊行会『豊丘村誌』から〔佐原 諏訪神社〕

 伝説によると、太古御国譲りの際建御名方命と武甕槌命と力競(国譲りの争)の事があり、建御名方命は遠くこの地まで逃れ来り、これを追い来った武甕槌命に対し国を譲り、その誓いの印として、傍らの石に互いに手形を残されたと伝え、この石を御手形石と称え、この付近の地名を追の久保と言う。(後略)

松澤義章著『顯幽本記』から〔林村佐原の手形石〕

 江戸時代の書物なので、読みやすいように旧字は常用漢字に替えてあります。( )内は、私が加えた「補足」です。

(前略) 柴負うる翁と黒木負うる壮人と(が)出で来れり。そ(れ)を呼び止めて此石の故義を問いしかば翁答えて此所を「鬼が久保」と唱え、古の時鬼神来てこの石に手を突きしあと(跡)の在れるなりと言い伝えたりと言えり。また南の方へ三丈(※1丈=3m)ばかり隔たり少しの木立ある所は何といえるか問いしかば、彼処は祠などは無くそうらえと「いしぎょうさま」という所なりと答う。又、北の方へ五丈ばかり隔てたる祠は何の神にます(在す)ぞと問いしかば、山之神と申伝わりと語る。
 按(あんずる)に此の辺りの里人等が山ノ神と唱えるは大山祇の神をのみ爾(しか)まおす(申す)にあらず、そは七十五社或いは五六十社或いは三四十社の山の神など唱えるところ此の辺りにはいく(幾)所もありて、村中に座(います)をば村神と唱え山に座すをば打ちまかせて(※一般には)山の神と唱えきたれるなり。
 又里人等がいしぎょう様と唱え来れりと言うを飯田の松井氏に語りしかば、松井氏の曰く其れは漢学行われ字音もていう(※を以て言う)事多くなりてよりの唱えさま(様)にて、いしぎょうと言うは「いしかた(石形)」の神と言うべきを字音に言えるなるべしと言えり。是は実にさる事なるべしと予(※自分)もその説を諾(うなべ)えり。然れば是はわが大御神鹿塩の嶮に拠(よ)りたまい二神(※建御雷神・他)の師ひ(率い?)たる兵と戦わしめたまい(給い)
 御和睦遊ばしし時、洲羽の国を知りしめ(示)さば御祖の御譲りと為(な)したまい佗(た)し国へは行幸まさし(※行かない)と詔(みことのり)たまいける。御時御約定のしるし(印)に、寄せ来りし二神の方よりも何神かいでたた(出で立た)し此方よりも何れの神にか詔たまいてその神達の御手形をおさ(納)めたまえるなるべし。
 予がその地に至り彼の翁に少しく云いし事ありしを聞き里人等集い議(はか)りて今はその石の周りにしりくめ(※注連)縄をかけたりと聞けり。然れば今の世にしるしと為す文書を手形と唱うるは是等の御故事より始まれる事と思わるるたり。
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 写本ですから間違いがある可能性がありますが、およその意味はわかりました(でしょうか)。