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智頭諏訪神社 鳥取県八頭郡智頭町 20.5.19

 夜半に風の音で何回も目を覚ましました。朝も相変わらずで、10時になっても強風は衰えません。
 国道から左へ分岐する狭い道に入ると、古い街並みが真っ直ぐに続く宿場町でした。「駐車場があったら散策しよう」と左右を注視しますが、軒を連ねた街道筋では見つからないまま「左折」の案内が出てしまいました。「まずは諏訪神社」ですから、1.5車線の道に怯えながら「今日は平日」の御守りと建御名方命の加護を信じてその先をたどります。
 智頭諏訪神社の駐車場に間違いないと思われる、三方を山に囲まれた広場に乗り入れました。降りると、車があおられて揺れているのわかります。梢から舞ってくる諸々の細片が顔に痛いくらいに当たります。天気の現況や予報からは隔絶された車中泊ですから、これが鳥取の“地風”なのか、気の早い台風なのか判断がつきません。

智頭諏訪神社

鳥取県八頭郡「智頭諏訪神社拝殿」 鳥居をくぐると、広大な境内が見渡せました。「盛大な柱建て祭り」があるのを知っていますから、通常ならアンバランスとも言えそうな広さも納得できました。その最奥に石段が見えます。短い石段で結ぶ4壇構成の最上壇に、これもまた大きな智頭諏訪神社の拝殿がありました。

智頭諏訪神社の狛犬 拝殿右側の狛犬に目をやると、その脇に、かつて何かが置かれていたような低い台座があるのに気が付きました。天保三年(1832)と彫られていますから、案内板にあった本殿再建時期と一致します。反対側にもありますから、左右で一対となります。もう、私の性分では「じゃー、次」と通り過ぎることができなくなりました。
 狛犬がお尻をモゾモゾと動かすことはありませんが、座りが落ち着かないように見えます。また、台座上に残る「染み」のような汚れが狛犬の台座とほぼ同じですから、「狛犬は、天保の当初はこの低い台に座っていた」と考えました。となると、参拝者からは見下ろす目線となりますから、これもまた変です。結局「それが引越の原因となった」と早急にまとめました。時間には縛られない旅ですが、それでも限度はあります。

智頭諏訪神社本殿

智頭諏訪神社「本殿」 拝殿の廻縁に飾られた「御柱写真」を見てから左に回り込むと、玉垣に囲まれた本殿がありました。壇上にありますから、見上げることになります。屋根が大きいうえに向拝が大きくせり出ていて、異常に「頭でっかち」です。その分迫力(というか圧迫感)を感じます。
 由緒書には、神紋は「梶葉」とはっきり謳っているのにかかわらず、扉と鬼板の神紋が「楓」です。「なぜだ」「誰も気が付かないのか」との思いが帰るまでついて回りました。さらに、扉の飾り金具が新しいのが気になります。社殿自体も古さを全く感じさせません。由緒に「天正十一年十二月羽柴秀吉近郊淀山攻略の時兵火に遭い焼失せしが再興。本殿は天保三年十一月に改築す」とありましたから、それに載っていない大きな修理・改築があった可能性があります。

智頭諏訪神社「本殿と御柱」 本殿を見下ろせそうな場所に続く道があります。ところが、思惑とは別に次第に遠ざかり始めます。藪漕ぎの選択を視野に入れた矢先に、戻るような方向に延びる道がありました。ロープが貼られ「立入禁止」となっていますが、「自己の責任範囲」という名目で無視しました。
 のぞき込むと、下から仰ぐのとは全く違う、これが同一神社かと思えるほどの景観でした。屋根が一際珍しい造りです。記憶の中では「縋造(すがるづくり)」に一番近いようです。御柱は「杉」とありましたから、素性のよい木が得られるのでしょう。「すっく」と延びた洗練された姿でした。しかし、諏訪神社の本社である諏訪大社の氏子が見れば、「これは電柱だよ」とコメントが“こぼれる”かも知れません。

智頭諏訪神社の神紋

 帰りに、再び「由緒」を読んでみました。いつの間にか神紋が「楓」に訂正されています、ということはなく、薄くなった墨書の字を、先入観で「梶」と“見て”いたことが判明しました。締めくくりの文も

「古来境内には当社紋に則り楓を植樹せしが地質調和よく繁茂し数百樹が織りなす秋の紅葉は実に華麗なり」

とあり、「智頭諏訪神社の神紋は楓」と納得しました。
 智頭往来(街道)から直接上る参道があるのですが、GPSに離れた駐車場まで誘導されたことがわかりました。表参道の鳥居から入り直したかったのですが、すでに台風並みの風で心身ともに萎縮していましたから、このまま車に乗り込みました。

 後日、『日本海新聞』に本殿修理の記事を見つけたので、一部を紹介します。

 昨年(平成17年)九月の台風18号の影響で本殿が倒壊した智頭町智頭の諏訪神社(小坂敏彦宮司)で十四日、復旧工事を終えた本殿に御神体を戻す「正遷座祭」が行われた。出席した関係者らは厳かな雰囲気の中で、御神体が戻った新しい本殿に手を合わせていた。

 この修理によって一部が新材に替えられ、本殿が新しく見えたことがわかりました。