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泊諏訪神社 青森県六ヶ所村泊 20.7.16

 青森県の諏訪神社を「神社本庁」のHPで拾うと、8社ありました。この数字なら全てを巡拝してもよいのですが、とりあえず、「一つのテーマ」として「本州最北端の諏訪神社」を選びました。下北半島にある六ヶ所村の諏訪神社です。地元の人には「そんな短絡的なこと」と言われそうですが、「六ヶ所村」と言えば「泊・原発」を連想してしまいます。正式には「核燃料再処理施設」ですが、イメージとしては「原発」です。

六ヶ所村

 陸奥湾沿いの国道「あすなろライン」から、海に背を向けて「六ヶ所村」の標識に従います。途中から霧が出始めました。どうも畑から水蒸気が立ちのぼっているようです。今日は朝から“夏晴れ”ですから、夕立でもあったのでしょうか。涼しくて“快適過ぎる”ので、車の温度計で確認すると20度です。今は、見るもの全てをまんべんなく包んで、すでに夕暮れの様相になっています。再び目をやると19度まで下がっていました。多分上空は青空だと思いますが、この時点で、すでに、カチッと締まった夏の諏訪神社の写真が撮れるのだろうかと心配していました。
 「現地で聞けば」という手抜きの旅なので、神社の住所しかメモしてありません。六ヶ所村役場に寄り諏訪神社の場所を尋ねました。その後いろいろとあって苦労しましたが、ようやく諏訪神社前の空き地に車を突っこむことができました。役場職員のガイドは適切なものでしたが、「泊」が村の中心地と思い込んでいた私のスケール(距離感)が迷走の原因でした。改めて地図を見ると、「泊」は六ヶ所村の北の外れにありました。

泊諏訪神社

 『青森県神社庁』のサイトに載っている諏訪神社の由緒です。

 高嶋堅吾と申す信濃の国の人が、 延暦二十一年(802)に、 海上安全・豊漁祈願の意をもって、 諏訪大明神を勧請鎮祀したとされる。
 明治六年郷社に列し、 大正五年七月に神饌幣帛料供進の神社に指定されている。

泊諏訪神社 鳥居には交差した日の丸が掲げられ、拝殿前には、ここからは海は見えませんが、船名が入った大漁旗が提灯と共に吊られています。青いシートはお囃子の屋台でしょうか。どうもお祭りのようです。
 左手奥の社務所では、準備なのか人の動きが見られます。恐縮しながら「拝殿内の写真を撮りたい」と申し出ると、立ち上がって拝殿内まで案内してくれました。カジュアルなシャツに「祭りの若者頭」と思っていましたから、説明を始めた顔を見てアレッと思いました。何と宮司でした。半島反対側にある横浜町の宮司で「泊諏訪神社の宮司も兼任している」と言います。「今日は例祭の準備と打ち合わせに来た。祭りは、明日が宵祭りで明後日が本祭」と続きます。

泊諏訪神社の神輿 正面(の撮影)は遠慮してください、と声がかかりました。確かにその通りで、私は鳥居をくぐるときや拝礼時には中央を避けています。許可を頂いたので、いいアングルで、と出しゃばってしまいました。
 その“代償”に、「子供のお祝いがあり、おじいさんがビデオを神座正面に向けて撮っていた。自宅で見たらノイズで写っていない。祝詞が終わったとたんに正常に戻ったので、そのおじいさんがあわてて私のところへ飛んできた」という“裏話”を聞くことができました。

 社旗は「立穀の葉(梶の一枚葉)」で提灯は「明神梶」でした。写真では神輿の陰になって見えませんが、右手の稲荷社・舊(旧)御社・金精様を何れも説明してくれました。「舊御社」として祭っているのは、旧鎮座地が拝殿右手の大岩の上にあった、ということでした。祭りの準備中で迷惑を掛けているのは確実ですが、そんな素振りは一切見せずに多くの話をしてくれました。帰り際に、拝殿入口の幕が「三巴」であることに気が付きました。「氏子が奉納してくれたのでそのまま掛けている」とのことでした。因みに、(後で知ったのですが)宮司が居住している横浜町の神社は八幡神社でした。

泊諏訪神社「旧御社殿跡地」 宮司に会わなければ知らずに帰っていた、拝殿と鞘堂(さやどう・本殿の覆屋)の右手にある4、5mはあろうかという岩上に、「舊御社殿跡地」の石柱がありました。この下は海だった、と聞いていましたが、のぞき込んでもまったく想像できませんでした。
 現在も立ちこめている霧について尋ねると「この辺りではガスと言い、決して珍しいものではない。日中でも車のライトをつけることがよくある」という話でしたが、視線を上げるほどに色と遠近感が薄れます。祭りを控えたお囃子の練習とわかる太鼓の音が、迷ったかのように頼りなく聞こえてきます。

泊の街をさまよう

 太鼓の音に誘われて行き着いたのは、私にとっては名もなき川岸でした。山車の保管庫でしょうか、中学生らしき子供が大勢乗って練習しています。諏訪神社の境内近くでしたが、開口部が神社と逆方向なので、遠回りしたような音に聞こえたのでしょう。
 さらに続く祭り提灯で飾られた大通りに、目的もないまま足を任せました。商店や人家が途切れることなく続いていますが、さすがにコンビニはありませんでした。家並みに代わって現れた防波堤を見て、そろそろ潮時と海沿いの裏道を選びました。一転した閑散さに、これは宿場町と同じだ、と合点がいきました。
 本通りに合流してから改めて提灯を仰ぐと、宮司の口にのぼった「貴宝山神社」が「諏訪神社」に混ざって吊られていました。役員でしょうか、車で移動しながら提灯のコンセントを差し込んでいます。まだ5時というのにこの暗さです。明るく灯った「明日はお祭り日」が、まだ今夜の宿も決めていない私には「よそ者には関係ないよ」と言っているようで、貴宝山神社は道から仰ぐだけにして車に戻りました。

 カーナビに横浜町の「道の駅」をットして再び陸奥湾側を目指しました。峠を越えた途端、瞬時にガスが消えました。どこを見ても、まだまだ昼間だよという夕日が当たっています。振り返らなくても、大きなカーブ毎に先ほどまでいた“山の彼方”が見えます。それは、スカイラインを縁取るように連続した白い笠をかぶっていました。