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八橋 諏訪神社 鳥取県琴浦町 20.5.20

 今思えば、「いくら間違ったとしても、何でここまで」と後ろ指を差されたかも知れません。
 実は、闖入者以外の何ものでもない私は、大山(だいせん)山麓のハウス内で果樹の手入れに忙しい農家の人々に、「諏訪神社はどこ」と聞いてしまいました。協議の結果、多分「八橋の諏訪神社」だろうということで、「国道9号」と「ぽーと赤碕」を教えられました。
 この時に、前もって調べた「諏訪神社は広域農道沿い」が「ガセネタ」であることと、「八橋」が「やつはし」でなく「やばせ」と知りました。「とにかく下へ」の教示通りに、GPSに載っていない果樹畑の中の道を「下へ、下へ」と選び続けました。

八橋

 諏訪神社の前に立ちましたが、道中で八橋に残る旧街道の趣を見ていましたから、少し戻って特徴ある家並みを撮ってみました。

八橋諏訪神社参拝

八橋諏訪神社 鳥居の前に社号標があります。書は「官幣大社諏訪神社(現諏訪大社)宮司・高階研一」でした。写真でしか拝顔したことはありませんが、鳥取の地でその名前を見ると、何か懐かしい気がします。
 最近改修されたと思われる石畳の参道で延享三年(1746)の御神灯と文政七年(1824)の狛犬を見ると、随身門の前です。これもまた新しい石段を上りきると、境内の横という場所でした。

 「小山の上」という立地ですが、意外に広い長手の境内端に神輿殿、間を開けて拝殿・本殿という社殿配置です。造営記念碑から、瓦葺きの拝殿が昭和38年、本殿が昭和28年と比較的新しいことがわかりました。
 何か境内が殺風景です。その原因は、一回りしても境内社が稲荷社だけということにあるようです。その境内のどこに立っていても、車の走行音が間断なく飛び込んできます。「こんな近くに何だろう」と梢を透かすと、下に見えるのは、通行量の多さから国道に違いありません。ここで初めて、「一旦通り過ぎ旧街道に入ってからUターンのように諏訪神社に来た」ことがわかりました。そのプロセスは、GPSが最良(適)の道として選んだものですから文句は言えません。

八橋諏訪神社本殿 本殿は春日造(のよう)です。ここは鳥取県でしかも諏訪神社ですから、注連縄も通常のものでした。扉や鬼板の紋は、梶の一枚葉である「立穀」です。諏訪神社でも「梶紋」以外の神紋が多く使われているので、「この神社は正当派」と格付けしてしまいました。
 本殿の裏に廻ると、背後は、今で言う耐震対策でしょうか、背中にタスキを掛けたように板の筋交いで補強されています。側面は、外観上の配慮でしょうか、床下に鉄筋で×状の筋交いをしていました。しかし、ほとんどが腐食して接合部分が離れています。潮風の影響なのか、と海辺の町にある諏訪神社を思いながら後にしました。

 実は駐車場がなく、鳥居の左脇にある狭い道の奥に駐めていました。そのままですぐ国道に出られることがわかり、これは便利と喜んだのですが…。今思うと、方向転換しても旧街道をのんびりと走り抜けるべきでした。

 この神社には「由緒書」がなかったので、私の目から見た「概観(外観)印象記」になってしまいました。何か足しに、とサイト検索をすると、10月8日に諏訪神社例大祭(八橋山車巡行)があることがわかりました。その祭りに担ぎ出される神輿が、神社の「神輿殿」に収容されているのでしょう。こちらは“後の祭り”ですが、小泉八雲夫妻が人力車で駆け抜けても「15分かかった」という「花見潟墓地」も見たかった…。