初日の宿泊地となった浜田自動車道「寒曳山PA」でそこそこの身繕いを済ませ、瑞穂ICから、カーナビに言われるがままに盆地の底を目指しました。目的は、島根県での諏訪神社巡りのトップとなった矢上諏訪神社です。
今朝一番の参拝とあって、まだ無制限に使える余裕があります。駐車場で湯を沸かし、インスタントながらモーニングコーヒーを味わいました。前調べで島根県天然記念物の「杉並木」があるのを知っていましたから、紙コップでは絵になりませんが、それを片手に、駐車場からもその高さが推し測れる梢を眺めました。
案内板では、高さ27から30m・胸高周囲2.33から4.6mとあります。長野県諏訪大社の「御柱」は「目通り」で測りますから、“所変われば”ということでしょう。並木を見上げながら参道を進むと、右に拝殿・本殿と大きな境内社が見えました。
本殿は春日造のような大社造のような…。唐破風の屋根が右に寄っているので、やはり大社造りなのでしょう。庇の下は、彫刻を風雨から守るためにすべてアクリル板で囲われています。白濁が進み、木組みや彫刻の詳細がよく見えません。神社では必ず鬼板の神紋を確認しているので大棟を仰ぐと、千木が一基倒れているのがわかりました。拝殿や拝殿内の献灯(提灯)・本殿の神紋は、梶の一枚葉「立ち梶の葉」でした。
本殿の床下には、社殿の部材と瓦が分けて置かれています。木製品が本殿に、瓦が拝殿に使われていたのでしょう。神紋がわかりやすいので鬼板の写真を載せました。
◯ 内が「立ち梶の葉」です。神社を巡るとよくこのような光景を目にしますが、文化財としては役不足、処分するには惜しいということでしょう。
本殿左の社殿は「稚児神社」で、祭神は参拝案内にも載っている諏訪氏後裔「諏訪左衛門太郎信連霊神」でした。諏訪神社宮司・静家の祖先ともありました。でも、なぜ「稚児」なんでしょうか。
「右三座合殿神社」です。案内板には、祭神「伊曽並(いそなみの)神・立合(たつやの)神・荒神(あらがみ)」とありますが、詳細を読まなくても、これは本社諏訪大社上社の摂社「磯並社(いそならべしゃ)」「達屋社」「荒玉社」を勧請したものとわかりました。
「左三座合殿神社」は、「御守御前(おんまもりごぜん)・比売(ひめの)神・速龍(はやたつの)神」です。こちらは本社には当てはまるものがないので、地元の神々でしょう。
右三座合殿神社に祀られた神ですが、諏訪左衛門太郎信連がこの地に諏訪神社を勧請したときに、本社に倣って摂末社の神も勧請したことがわかります。幕府の命でこの矢上の地に赴任した際に、彼の諏訪に対する望郷の想いが強かったと想像してみました。また、諏訪以外では知られていない神々が、島根の地に今でも健在であることに矢上諏訪神社の重みを感じました。