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麻衣廼神社の奉納額「七福神」 塩尻市贄川 26.5.21

 麻衣廼(あさぎぬの)神社の拝殿で、奉納額の一枚に目が釘付けになりました。というのも、奉納年に「元禄」とある文字を確認したからです。しかし、今日の目的は本殿の撮影ですから、取りあえずの記録としてカメラに収めました。
 自宅で、元禄5年は1692年と確認し、約320年前のものとわかりました。この古さによる貴重さは神社でも承知しているようで、ガラスで覆ってあったことが納得できました。額もその時に作ったのでしょう。
 絵の具がかなり剥落していたので期待はしていなかったのですが、画像処理を行うと、桜の下で楽器を奏でている人々が鮮やかに浮かび上がりました。

麻衣廼神社「七福神図」
画像クリックで、1630×1300pixelのサイズを表示します。

 「何だこれは」と見回すと、福祿壽(ふくろくじゅ)のような頭()があることから「七福神図」を連想しました。ところが、改めてその線で見直すと「女性が二人()」描かれています。

麻衣廼神社「恵比須」
布袋様がしゃしゃり出て…   

 何回も見直した結果、釣り竿を担いだ女性の髪型が、元禄時代に流行した若衆髷(わかしゅまげ)と気が付き、“男”と理解できました。
 これで「釣り竿にタイ」ですから、まさしく恵比須のスタイルです。右手に団扇(うちわ)をを持っていますから、さしずめ「踊る美少年恵比須」という設定でしょうか。
 奉納年が「元禄」ということで注目していた額ですから、時代背景に気が付き、うまく七福神と落ち着きました。絵師も傾(かぶ)いた(と思われる)恵比須の姿を平成の世でも気が付いた私に、彼は拍手を送ってくれるでしょうか。

 改めて紹介すると、左上から右回りに

毘沙門天─(扇子を持っているから指揮者?)
弁才天──琴
恵比須──舞(踊り)
寿老人──鼓
布袋───太鼓
福禄寿──横笛
大黒天──(不明)

です。

 実は「麻衣廼神社には、元禄時代の古い額があり」という説明で終わらせるはずでした。それが、以上のように長々と書く羽目になってしまったのは、恵比須を謎解きのように描き、弁才天が琵琶ではなく琴を弾くという、しかも全員が現代にも通ずるタッチで生き生きと描かれていたことにあります。このような七福神図が山深い木曽の贄川にある神社にあること自体が不思議ですが、建御名方命を主祭神とする諏訪神社に奉納されていたことにも驚かされます。

麻衣廼神社「?」 大きな視野でこの絵を眺めたら、よくある集合写真にも似た描き方でないことに気が付きました。なぜ、と彼等の“視線”が集中するその中央部を注視すると、“何か”があります。しかし、その上部は剥落していて何を描いたものなのかはわかりません。

麻衣廼神社「菱川保房?」 左下に名前が書いてあります。絵師なのか奉納者なのかはわかりませんが「◯川保房」と読めます。これだけ巧みな絵を描けるのは高名な絵師ではないかと踏んで、ネットで検索してみました。
 単独では引っ掛からない「保房」のキーワードをメインに検索する中で、「菱川師宣」が表示しました。共通となる「川」にヒントを得て、もしやと剥落している部分を見つめると、(何とか)「菱」と読めます。この“繋がり”から、菱川師宣の没年を調べると元禄七年です。「これは…」と閃いて彼の弟子を検索してみましたが、残念ながら「「菱川保房」の存在は否定されました。「木曽路はすべて山の中である」という木曽の地ですから、絵に心得と自信を持つ人物が、菱川一派の名を騙(かた)って描いたのでしょうか。

 この七福神図には、通常は上部に書かれる「奉掛・御寶前」が、七福神のレイアウトを台無しにする絵の中央寄りにあります。また、「元禄五壬申三月吉(日)」も(一部ですが)“大切な”毘沙門天の肩に掛かっています。さらに、「◯川保房」の書体が他とは大きく異なっているように見えます。これも“傾き”でしょうか。

 以上、古さだけに注目して撮った奉納額ですが、私のこだわりから(また)長々と書いてしまいました。因みに、人によっては気になる右端の「何か」は、“残念ながら”灯りが入った提灯が映り込んだものです。
 麻衣廼神社の詳細については、以下のリンクで御覧ください。


‖サイト内リンク‖ 麻衣廼神社《諏訪神社と御柱》