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青木諏訪神社 韮崎市清哲町 21.5.9

諏訪明神 青木村
社記云う。天正中、青木尾張守信立、明暦三年青木興兵衛信就修造の棟札あり。享保二年松平甲斐守御林山の麓山神の社中に移す。即ち今の地なり。古松あり。四抱なるべし。
甲斐国志刊行会編『甲斐国志』

 知名度から、やはり武田八幡神社が基点になってしまうでしょうか。その韮崎を代表する神社から北へ約3Kmの道をたどると、清哲町青木の集落に入ります。その山際に鎮座しているのが諏訪神社です。「青木」の字を戴いて青木諏訪神社としました。

青木諏訪神社拝殿 新しい狛犬を左右に見て、鳥居額に諏訪神社とあるこれも新しい鳥居を仰ぎ石段を上ります。境内社が集められた少しばかりの平地から、石祠と拝殿を撮ってみました。
 「諏方大明神」の社殿額が掛かった拝殿は漆喰の白壁でした。中を覗くと、左手に新しい太鼓が見えますが、本殿に向かう通路には何も置かれずサッパリとしています。本殿正面に当たる奥は暗くて見えません。

青木諏訪神社「本殿」 本殿を横に見る位置に立ってみました。青木諏訪神社は武田八幡神社と同じく、果ては鳳凰三山という山際を背後にしています。そのために、本殿の背後に余裕がありません。そこを、諏訪から来た私は「なぜか」と形容してしまうシュロと竹藪が占めています。タケノコが一本、すでに私と同じ丈だけ伸びていました。

 屋根裏と身舎(もや)の上部に薄く丹色が残っています。今は退色してくすんでいますから、かつての鮮やかな緋色の社殿は想像もできません。
 石段に足を乗せてから、「何か」物足りないと言うか忘れ物をしたような気持ちになりました。諏訪神社の見納めということで一旦戻り、再び本殿と同じ高さの斜面に立ちました。せっかく戻ったので、まだ撮っていない木組みに目をやりました。
 「ヒマワリ」の絵を撮り納めにしようとズームアップすると、面白い模様が見えました。梶の葉に見えます。ファインダーを注視すると、「梶の葉」は、絵ではなく浮き彫りでした。逆光だったので、暗い屋根裏にこんなものがあるとは気が付きませんでした。

青木諏訪神社…「オーブ」ではありません

 距離があって効果は期待できそうもありませんが、フラッシュを光らせました。モニターで確認すると鮮やかな色と形が確認できます。これなら、と逆側となる本殿左に廻ると、風向きの関係でしょうか、こちらの方が鮮やかでしかも全面に色が広がっていました。掲載写真は、退色していますが立体感があるので、最初に撮った一枚を選びました。断っておきますが、右下の丸い模様は「オーブ」ではなく、レンズに付着した埃(汚れ)が反射したものです。
 諏訪神社専門に巡拝しているためでしょうか、「諏訪明神が、梶の葉を見せるために呼び戻してくれた」と思えるほどの不思議な気持を覚えました。

一文字の干支

青木諏訪神社水鉢 拝殿前にある水鉢です。「寛延」の元号が珍しかったのでメモ代わりに撮っておきました。自宅で調べると、寛延二年(1749)は「己巳」ですが、干支が一文字しか彫られていませんでした。
 気になったので、水鉢の干支について少し書き加えてみました。書くにしろキーを打つにしろあっという間ですが、石を彫るとなるとそれ相当の手間が掛かります。「寛延二年とわかっているので、これでいいのだ」が順当な答えでしょう。
 そういえば、近くの原山神社も干支ではなく十二支の一文字でした。百年の時代差がありますが、形が似ているので、清哲村の石工の伝統としました。

 掲載した「梶の葉」ですが、“冷静”に見ると「菊とその葉」でしょうか。青木諏訪神社本殿の神紋は「丸に剣方喰(酢漿草・カタバミ)」ですが、これは、造営した松平甲斐守の関係でしょう。鳥居が「諏訪神社」で拝殿が「諏方大明神」ですから、諏訪神社に違いありません。