長野県南西端に位置する阿智村は、今や昼神温泉を“所有”する村として知られています。しかし、東山道神坂峠の麓に立地する村とあって、古書にも載る神社が幾つかあります。その中で、諏訪から遠く離れた阿智村に鎮座する諏訪神社二社(諏訪大明神・諏訪社)の位置付けについて…、というようなことには(今回は)まったく触れません。
サイト『郷土誌巡礼 阿智村の歴史』に載る〔諏訪大明神〕を見て、本殿の蟇股にある「鹿とモミジ」の彫刻に注目しました。これに「千鹿頭神」を結びつけるのは短絡過ぎますが、それでもヒョッとして…、と気になります。〔諏訪大明神〕から、冒頭の部分を転載しました。
地図では「諏訪大明神」と表示のあった場所ですが、見回しても鳥居しかありません。この場所が諏訪大明神だと疑わずに来たのですが…。
同じ地図では山手に石段が表示していたので、その先に社殿があると判断し、鳥居を透かした先と同じ方向へ向かう小道をたどりました。今や濃く定着した緑と初夏の陽に包まれては、地図の間違いも許せました。
傾いた石段の頂点に諏訪社の本殿が見えます。上り詰めるとチョッとした平地で、左右に境内社がありました。さっそく、代表として諏訪社の拝礼を済ませ、鹿の蟇股(冒頭の写真)を撮りました。しかし、社殿を観察しますが、千鹿頭神を連想させるものは見つかりませんでした。
左手に、下に木祠が幾つか並んだ覆屋があります。その貫に木札があるので読んでみました。右上に「源熊谷家」、中央の「奉御祭神」の下に「白山大神・大山祇命・琴原山神・若宮・正八幡宮・新良八幡宮・木花開耶姫」とあります。
近くにある(頭蓋骨を祀る)大平神社の宮司が「熊谷さん」ですから、この諏訪社は、その熊谷家の氏神という位置付けでしょうか。しかし、「源+熊谷家」とした意図がわかりません。大平神社の由緒に「熊谷家の祖先は、源家の臣熊谷直実である」とありましたから、単に、源氏に繋がりがあることを示(誇示)しただけかもしれません…。
このまま戻るのはもったいないので、逆方向の道を選びました。
写真では左方からの道で、これが古代東山道でした。それがわかったのは、右から「←東山道 網掛峠」「古代東山道祭祀遺跡」碑と「古代東山道祭祀遺跡碑(説明板)」屋根付きの「古代東山道ルート図」と並んだ案内板を読んだからでした。
近くには「小野川関所跡」や「W(ウォルター)・ウェストン甲州山脈(南アルプス)眺望絶賛の地」などもあり、立ち寄り参拝を後悔しました。わかっていれば、網掛山登山(せめて網掛峠往復)を含めた、古代のロマンに浸れる周遊を計画したのですが…。
ここで、まさかのウェストンに“出会った”ので、白い塗料が剥げかけた案内柱を紹介します。
ほんの一部ですが、ウェストンが歩いた“跡”に自分の足を重ねたことになります。それにしても、明治という時代にこんな所までよく足を延ばしたものだと呆れて感心してしまいました。
現地では、“眺望”先のスカイラインに厚く雲が掛かっていたので「果たして、ここから南アルプスが遠望できるのか」との疑問を持ちました。自宅に戻り、地図でこの場所を表示させてから東へスクロールさせると、兎岳(2818m)と赤石岳(3121m)の間を通過しました。これで、カーナビが先達(せんだつ)の参拝でしたから、北も南もわかっていなかったことを改めて実証した形になりました。