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阿智村の諏訪社 下伊那郡阿智村市の沢 27.7.20

 阿智村誌編纂委員会『阿智村誌』から〔諏訪社(所在地・市の沢)〕を転載しました。

祭神 健御名方命
由緒 創建については不明であるが、阿智地域には独立した諏訪社が少ない。とくに、旧村社(江戸時代の村持ち社)十社のうち諏訪明神を主神にまつった神社は大鹿倉の水無神社一社のみであるが、これも相殿に合祀した小社である。これは当地域に諏訪明神信仰が浸透しなかったことを暗示するものであるが、天正七年(一五七九)の上諏訪造営帳には、北関之郷、中関之郷、南関之郷の寄進が記されているのに駒場之郷が見当たらないこともその現れではないだろうか。
 当社の史料となる二本の幟には「諏訪大明神、文化七年文月吉祥、氏子中・上町中」と揮毫されてあり、祭礼の道具箱の蓋には「文政十二年巳丑七月廿七日、氏子中」として十一名の当時の氏子名が書かれている。又、本殿内の棟札と思われる木札には「明治十四年八月廿二日、奉再建諏訪神社、五穀成就氏子安寧諸氏保全」裏面に大工四名が墨書されている。
 当社の境内地二畝十一歩はもと長岳寺所有の山林で、無年貢で貸与されていた。現在は二十数名の氏子によって祭礼が行われている。

 阿智村には、諏訪社が二社あることを知りました。「二」という程よい数に、それなら両社とも参拝しようということになりました。事前の調べで中央自動車道の脇に鎮座していることがわかりましたが、もちろん、地図には載っていません。

諏訪社参拝

 高速道路をくぐりますが、民家が途切れると一車線幅が続きます。延々とバックする羽目に陥らないように駐車スペースの存在に目を光らせます。歩いても大した距離ではないからです。しかし、見つからないまま諏訪社に到着してしまいました。

阿智村の諏訪社 一台分の空きスペースがありますが、ここでは方向転換ができません。結局、さらに上り続け、(中略)という経過を踏んで戻り、神社前に何とか寄せることができました。どうでもいい“プロローグ”ですが、余り紹介するようなものがないので…。
 降りるとサルが…。一匹なら無視できますが、数頭の群れともなるとニュースのネタにもなりかねません。刺激しないように間合いを詰めると、徐々に山中へ遠ざかっていきました。

諏訪社本殿 覆屋内の質素な本殿は、参考にしたサイトの写真通りでした。事前の調べは大切ですが、余りにもその通りという景観を前にすると、ここまで来たという達成感が薄れるのも事実です。
 神社横は急斜面の山です。この上に畑があるとも思えませんが、そこに刻まれたかのような道から大きな籠を背負ったおばあさんが降りてきました。話のきっかけとして「サルは怖くないですか」と声を掛けてみましたが、下から伝わってくる車の走行音に対抗して大声を出すのに疲れます。切りよく話を止めて、その後ろ姿を見送りました。

諏訪社の二本御柱

諏訪社「二本御柱」 実は、覆屋の背後を確認したのですが、そこに御柱が建っていることにまったく気がつきませんでした。床下までチェックする「私としたことが」ですが、予備知識にあったのにも関わらず目的の半分を逃す“大失態”をしてしまいました。
 今思うと、時間に余裕がなかったこともありますが、御柱が社殿の裏にあるという初めてのケースに対応できなかったのが原因でした。それでも「撮った中に…」と探すと、山手から中央自動車道を絡めて撮った写真の隅に写っていました。そのための写真ではないので立木と区別できませんから、矢印を入れてみました。