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厚浜諏訪神社 兵庫県洲本市中川原町厚浜 29.2.3

 「兵庫県洲本市より、淡路島と言った方がわかるでしょうか」と書き始めた私ですが、最近まで「淡路島は何県?」に即答できませんでした。その淡路島で諏訪神社を一社だけ参拝しようと調べたら、洲本市にありました。

厚浜諏訪神社 28.12.8

 カーナビの指示通りにICを降りますが、ここが淡路島という実感はありません。バイパスから市内に入って店舗や公共施設に「淡路・洲本」の文字を見ると、徐々にその気になってきます。右に海を見ながら、海水浴場で知られているという厚浜に思いを馳せました。

厚浜諏訪神社の神木 ナビの指示は的確でしたが、道の狭さに躊躇して左折しそこね、神社前にも駐車場が無くてパスし、近くには転回場所もないという経過を経て、ようやく神社裏に駐めることができました。
 坂道の下方からアオって撮ったので盛大な台形歪が出ましたが、この鳥居をくぐって境内に入りました。

厚浜諏訪神社から太平洋 (地図では標高19mという)境内の端からは、海までの景観がよく見通せます。一方で、最近の地震災害から「この場所なら」という考えも過(よ)ぎってしまいます。
 決してビューポイントという類(たぐい)のものではありませんが、諏訪神社からの眺めとあって「あれが紀伊半島だ」と指をさしてしまいそうな感動があります。

厚浜諏訪神社

 いったん降りて撮った諏訪神社です。社号標には、珍しく「厚浜諏訪神社」と固有名詞が深く刻まれていました。「御祭神 建御名方神・八坂刀売神」とある案内板『厚浜諏訪神社由来記』を、詠みやすいように直して転載しました。

 本神社は約二千年以前より長野県諏訪湖畔に鎮座まします諏訪大社の御分社の一つで、享保十二年(1727)の官記に「正法寺は諏訪明神を掌持する」とありますから、今から二百六十年以上の昔にこの台地に勧請されたものです。
 その後何度も改築され、現在の社殿は明治四十二年十月十一日に竣工されております。
 諏訪大明神は雨風を司る竜神信仰から発して、武家の守護神(武田信玄の信仰が篤かった)、農業の守護神、海の守り神として全国に一万有余の分社があります。
 本神社は「無病延命」「難病息滅」の社として島内に多くの信者を有し、特に流行病のある時は参拝者が絶えなかったと云われています。
 かっでは神楽講社の講員も三千余名、世話人は七十余名あったと云われており、現在でも信仰篤い人々のお詣りをいただき、春秋の大祭には神楽を奏して昔ながらのお祭りが行われています。

 淡路島で、厚浜諏訪神社とは直接に関係ない補注(武田信玄云々)を見るとは思いませんでした。神社関係者には、何かの思い入れがあるのでしょうか。

厚浜諏訪神社拝殿 拝殿の内部は暗く、本殿の前には格子戸があるので社殿の造りを紹介することはできません。また、拝殿前が狭いので、社殿全体を入れるために移動したらこの写真になりました。
 後方(右)に廻ると、本殿の屋根以外は波板で密閉されていました。海辺の高台という立地に対応させたのでしょう。

厚浜諏訪神社 拝殿の左方に、(長野県)諏訪で言う藍塔(らんとう)に似た石造物が3基並んでいます。「神社の境内に墓地が」と怪しみながら近づくと、扉の合わせ目に「大山神社」と刻まれていました。
 神祠と理解できたのですが、身舎と扉の隙間がセメントで塞がれています。八ヶ岳の麓から来た私には、潮風の侵入を防ぐために密閉したと考えるしかありません。祭礼時には開扉しないことになりますが、他の二棟も同様でした。

厚浜諏訪神社のクスノキ 足元に散乱しているアケビの実に、「さてどこから」と上を仰いだのがこの写真です。
 冒頭の写真にも写っている大きく枝を張ったクスノキですが、幹にツルは巻きついていません。目を凝らしても見覚えがある葉を見つけることができないので、“寄生アケビ”として、この謎を終わらせました。

 厚浜諏訪神社で、今回の諏訪神社巡拝の旅は終わりました。思えばあれもこれもと心残りがありますが、リストに挙げた神社はすべて参拝を済ませました。昨夜の移動で「中国自動車道 雪」を見たので、「帰りに出雲へ寄って」の考えは捨てました。

 自宅で神木のクスノキを調べたら、『環境省巨樹データベース』に、平成21年の調査として「幹周り610cm・樹高20m(目測)」とありました。