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青木原山神社 韮崎市清哲町 21.5.9

〔原山明神〕村北信州路の傍らに在り。社記に云う。諏方郡御射山と同じく日月星の三光を祭る。七月廿七日の祭時に祠辺りにて必ず日月星の三光を拝す。往時は武川逸見の総鎮守なり。天正中雷火に回禄せしを正徳元年右の諸村に募りて造営す。奉加帳今に存ぜり。
甲斐国志刊行会編『甲斐国志』
原山神社

 諏訪の御射山社と同じ「日月星の三光が見える」神社です。山梨県南アルプス市「上今諏訪神社」との絡みで来ましたが、川を挟んで国道と七里岩が見えるこの地に立っているのが不思議です。
 鳥居下を下る道が、「境内と同じ高さになるまで」というわずかな距離ですが簡易舗装されています。その境に、流れ下った雨水が大量に流れ込むのでしょう、長く伸びた草が立ちはだかっています。蹴散らすだけですが、何か結界のように見え躊躇してしまいました。

原山神社拝殿 拝殿兼舞屋という構造に加え、本殿に覆屋がないので写真のような珍しい光景になっています。本殿の後ろは崖になっていますから、八ヶ岳が見通せます。
 しかし、諏訪で見る「横広がり」と違い、90°近くずれた八ヶ岳の長軸方向ですから、その実感はありません。諏訪から来た者がその感想を述べても、原山神社が八ヶ岳山麓の御射山社に向けて造営されたのは間違いありません。

原山神社「本殿」 本殿の扉が片開きで「原山神社大々御神楽御礼」が見えています。北杜市から韮崎市の神社を巡ると、多くの神社に神楽殿があります。諏訪では完全に廃れた神楽が今でも奉納されているそうですが、その違いは何でしょう。しばらく考えてみましたが、(安易ですが)「風土の違い」で片付けることにしました。

原山神社水鉢 「サッパリとした境内」なので紹介できるものがありません。その中で、天保十一年の水鉢に、対になる干支が一つしかないのを見ていましたからカメラを向けました。ところが、被写体としてみると中々味のある水鉢です。
 色もそうですが、下部の濡れた部分にコケが生えているのを見つけました。凍結・乾燥の繰り返しが成因と思われるヒビ割れから、水が染み出ているのでしょう。また、台座の際に一株だけある草のツルがそれに向かって伸びているのが…、何か意味ありげです。

 自宅で調べると天保11年の干支は「庚子」でした。干支の片方を省略するのはこの辺りの常識(慣習)なのでしょうか。それに続く「7月吉日」は、7月27日の例祭に合わせて奉納披露したということでしょう。当村の水上さん二人は親子でしょうか。
 御射山社の別称である「原山」を模して造られた原山神社ですが、本社の御射山社も例祭日をのぞくと忘れられたような神社になっていますから、これも“あやかった”ように思えました。

 韮崎市誌編纂委員会『韮崎市誌』に、『甲斐国志』に出てくる奉加帳の一部が載っていました。それには、「天正中雷火」は天正の兵火となっていました。「かつては相当の神社であったようであるが、幾度か改修され、最近では昭和三十三年八月、大暴風雨のため倒壊し、その後崇敬者によって新築し祭典も賑やかに続けられている。祭神は、日本武尊・日神・月神・星神」と結んでいました。もちろん御射山社の「日月星の三光」が基でしょう。

 冒頭に載せた南アルプス市の上今諏訪諏訪神社は、「初めはこの原山神社に代参して御札を持ち帰っていたが、その後地元に原山社を勧請し、現在では上今諏訪神社の境内に遷座した」という経緯があります。その流れで、原山社の親社「原山神社」を訪れたということですが、これで、今日、上今諏訪諏訪神社と原山神社が繋がりました。

 山梨県には、(今のところ)他に二社「原山神社」があります。甲府市美咲の原山神社は「例祭8月26日・ウナギの放流」だそうですから、正(まさ)しく諏訪大社の御射山祭「原山様のウナギ放流」です。北杜市高根町の原山神社は、社前の由緒を読んでみましたが、「繋がりは」全くありませんでした。