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橋倉諏訪社 松本市入山辺 23.6.26

入山辺の諏訪神社

 霧ヶ峰や美ヶ原を源流とする薄川(すすきがわ)沿いに、古名「山家(やまべ)」としても知られる「山辺(やまべ)」があり、現在は里山辺と入山辺(いりやまべ)が隣接しています。その入山辺に諏訪神社が二社あることはわかっていましたが、「諏訪神社」だけの表記なので鎮座地が特定できずにいました。

 里山辺にある「山辺学校民俗資料館」の「お船の展示室」で、「橋倉・南方」と書かれた諏訪神社の写真を見つけました。手掛かりを求めて探した別室の絵図で隣り合った集落名とわかり、「帰り道に寄れる」と一気に参拝する機運が高まりました。

橋倉諏訪社参拝 23.6.22

 カーナビは神社を表示してくれません。とりあえず、橋倉集落内の狭い坂道を伝って山際まで行ってみました。昼下がりとあってか人影も見えない中で、ようやく、ビニールハウスの中でホースを手に持つ若者を見つけました。
 先ほど知ったばかりの集落名なので、とっさの対面では口に出ません。「諏訪神社」とだけ尋ねると「橋倉の諏訪神社か」と念を押されてしまいました。「地元民限定の神社にわざわざ来るのが理解できない(怪しい)」という“後光”を放っていますが、「すぐこの上」と教えてくれました。

橋倉諏訪神社

三之蔵諏訪神社 やや緊張感を持った狭い幟枠の間をすり抜けると、正面の小山に、横一列になった社殿が見えます。
 [<]の字の参道で高度を稼ぐと、鳥居額は「諏訪大神」とある諏訪神社でした。松本市とはいえ御柱がある諏訪神社です。この狭い境内に「どうやって建てたのだろう」と不思議に思う御柱がありました。

諏訪社
一、神社名諏訪社
一、祭 神建南方刀美命
一、建造物本殿
幣拝殿
神楽殿
一、由 緒創立年代は不明である、金華山城主小笠原氏の守護神であったと言われ、本殿背面に小笠原氏の紋所三階菱が刻まれている、
一、例祭日四月二十九日
一、行事う年、とり年に御柱祭を執り行う
 昭和五十九年四月 山辺歴史研究会・入山辺公民館

三之蔵諏訪神社 境内地は、山の斜面を削平して御柱・舞殿・拝殿・本殿を並べた縦長なので、左右に余裕がありません。谷側一杯に寄りカメラもワイド一杯にしたので、当然の結果として派手に台形歪が出てしまいました。
 これでは「情緒不安定になる」と修正したのがこの写真です。

諏訪神社 案内板にあった神紋を確認しようと本殿後方に回り込むと、確かに身舎中央の蟇股に「三階菱」がありました。沙田(いさごだ)神社でその知識を得ていたので、予想通りの形となりました。因みに、正面は「諏訪梶」でした。
 案内板に「小笠原氏の守護神」とあります。しかし、小笠原氏は徳川家康の命で播磨明石へ転封したので、山辺の人々にとっては「過去の人」になります。そう古いとも思えない本殿に、未だに「小笠原氏の家紋」が残っているのは何故でしょうか。旧橋倉村の創成に小笠原氏が関わっていたのかもしれません。