諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪神社メニュー /

「日室の鎌祭り」日室諏訪神社 石川県七尾市江泊町 21.8.27

 正式には「日室鎌祭」ですが、地元の呼称に倣いました。 

 日室諏訪神社の拝殿に、無形民俗文化財指定書の額が二枚掛かっていました。石川県の「指定証書」は「能登の諏訪祭りの鎌打ち神事・日室の鎌祭り保存会」だけですが、七尾市の「指定書」には具体的な内容が並記してあるので「案内板」として紹介します。

名称 日室鎌祭
魚形を陰刻した二丁の鎌を諏訪神社へ供え、修祓(しゅばつ)の後、タブノキに鎌を打ち込み風を鎮め豊作豊漁を祈願する。なお、本祭りには湯立て神事が伴う。

日室諏訪神社

 車道脇に、「諏訪神社」の社号標があります。神事で混雑する前に、どんな場所かを偵察することにしました。
日室諏訪神社 山道の急坂に、できれば避けたい汗が徐々に滲んできます。ペースを落として登り詰めると、尾根上に簡素な社殿がありました。
 周囲の展望が利かないのでそのまま拝殿の裏に廻ると、鎌が無数に打ち込まれた神木がありました。この景観は中能登町の鎌宮諏訪神社で見ていたので容認できますが、初めての人には「おぞましいもの」として映るかも知れません。

日室諏訪神社の神木 拝殿の右側にある神木です。左の二股はすでに枯れていますが、異様なコブの隆起が残っています。埋没した鎌が支えとなって崩れずに残っているのでしょうか。
 11時の神事には、まだ2時間もあります。腕に集(たか)る蚊に閉口していたこともあって、一旦下山して日室の集落へ向かいました。

 川沿いの道を下ると、無住と思われる家が目に付きます。屋根からクズやアレチウリが垂れ下がっている倒壊寸前の廃屋もあります。その視線で、二階の出窓に残された鏡台を見てしまいました。一つだけ残った生活の痕跡に、「あれは嫁入り道具だろうか」と想像してしまいました。ここでは過疎そのものですが、他所から訪れた者には「それも旅情と写る」のが何とも複雑です。

 車が駐まり洗濯物が干してある家を見てホッとしました。その道端に立つ二人が業務用ビデオカメラと三脚を携えているのを見て、遠目でも「LCV」の撮影クルーとわかりました。いつもは挨拶程度で済ませますが、異郷の地で会った諏訪人同士ということもあって話しかけてみました。その中で、諏訪大社「御柱祭」の関連神事として、毎回取材に来ていることがわかりました。

長野県諏訪市に本社がある「レイクシティ ケーブルビジョン」

 道上に、かつては宅地だったと思える平地があります。その隅に「今の道路が開通したときに移した」と聞いていた五輪塔が並んでおり、その一つに幣帛のようなもの(下写真)が結わえられています。五輪塔は早い話が墓塔・供養塔ですから、私には、相反するものがここで一括(ひとくく)りにされていることが不思議に見えました。

日室の鎌祭り「諏訪神社へ」 地元の人に加え、報道関係者やアマチュアカメラマンが10人ほど集まりました。彼らが見守る中、氏子総代が鎌二体・榊・紙垂を結わえ付けた竹を持ち、神職と共に諏訪神社へ向かいます。

 諏訪神社への分岐には、「四つ葉保育園」のマイクロバスが駐まっています。保育士を含む超若い世代が神事見学の輪に加わり、一気に平均年齢が下がり女性の比率が上がりました。
 その一方で実年齢は変わらずという氏子は、腰に蚊取線香を下げています。電池式ではなく「渦巻きの金鳥」ですが、屋外専用のケースがあるのを初めて見ました。拝殿内やロープを張った杭にもくくりつけてあります。私はシャッターを押す人差し指を刺されてしまい、次回は必携と納得しました。

日室鎌打ち神事

諏訪神社拝殿「日室の鎌祭り」 拝殿内の氏子は4名ですが、現在の日室集落は三戸と聞いています。常会長が総代を勤めるそうですから、右に座る総代役が3年毎に回ってくることになります。
 写真の通り本殿はありません。シースルーとなった祭壇の向こうには笹二本に注連縄が張られ、その下には、磐座と思われる穴が空いた石が積まれています。参道は粘土質で車道の切り通しも珪藻土ですから、石というものが見当たりません。海の生物の生活痕が化石となったものを、珍石奇石として奉納したものかもしれません。

日室の鎌祭り「湯立て神事」 「湯立て神事」です。小枝を燃やすだけという形式なものですから、ススキの葉に付けた“水”で参拝者を祓います。園児も、宮司の「頭を下げて」の言葉に神妙に従ってお祓いを受けました。
 能登の山中に、御射山祭に通じる「8月27日」の例祭日と「ススキ」を用いた神事が残っていることに驚きました。

日室の鎌祭り「鎌打ち神事」 拝殿での神事が終わると、総代は祭壇に立てた幣帛から鎌を外しました。拝殿裏に廻ると、(拝殿正面から見た)右側の木に「雄鎌」を打ち付けました。
 ここで腰に付けた鉈(ナタ)の意味がわかりました。参道や境内の刈払いとばかり思っていましたが、鉈の背で鎌を打ち付けるのを見て納得しました。金鎚の方が叩きやすいと思いますが、これも伝統でしょう。続いて、左の木に「雌鎌」を同じ様に打ち込みます。フラッシュの閃光が何回も続きました。

鎌打ち神事「雄鎌と雌鎌」

 右が「雄鎌」で、左が「雌鎌」です。似たような魚をどう区別するのだろうと心配しました。しかし、“制作者さえ間違わなければ”、絵柄の刻みは片面なので、雄・雌がわからなくても誰でも間違いなく打てるとわかりました。
 拡大した写真から「雄には歯がある」としましたが、古いものを確認すると歯がない物もあります。まとめて5、6年分作るそうですから、制作者のこだわりでしょうか。もちろん、雌に歯があってもおかしくありませんが、阿・吽とも考えられます。魚なので、「身」の長さを約15cmと測りました。
 終了後は全員にカワラケが配られ御神酒が振る舞われれました。

 神事前に、民家脇の小道で「右七尾・左□□道」と刻まれた自然石の道標を見つけました。通りかかったお年寄りに訊くと、昔はこの道から海に出て学校に通ったと言います。「地図と実感」では山奥の日室でしたが、調べると、海までの直線距離は約2Kmでした。日室は、海沿いの旧・江泊村の枝村とあるので、豊漁の祈願があるのは“気持ち”として理解できます。しかし、今一つしっくりしません。かつては海辺にも諏訪神社があり、御射山社と位置づけた神社が日室諏訪神社として残ったのでしょうか。

能登の鎌打ち神事

 神事の詳細は地元の図書館で調べなければわからないと思っていましたが、竹村美幸著『諏訪明神』に「能登の鎌打ち神事」として載っていたので紹介します。

(前略)8月25日七尾市山王町の大地主(おおとこぬし)神社で入魂した神鎌を捧持して、当元である作十郎屋敷の安置所(籠堂)で二日間守護する。祭りの日は、村人全員が集まって拝殿前で湯立の神事を行い、続いて鎌打ちの神事に移る。
文献によっては「作次郎・左近次郎」
 拝殿の奥には、依代としての神木があって、この左右に篠竹を立てて注連をはる。ただし現在は、この神木が枯れ朽ちて根元だけとなっている。この左右に毎年鎌を打ち込むタブの木がある。鎌打ちは、この二本のタブの木に打ち、左の神木に左鎌を、右の神木に右鎌を打ちつける。鎌の長さは左右とも同じで13.5センチ、魚のウロコと口が刻まれている。鎌の形は魚に似ていて、その口が左右とも違っている。一方は口を開き、他方は閉じた阿吽(あうん)の形となっている。
 日室諏訪神社の祭事は、現在宮司が執行しているが、昔は代々当元の谷内(やち)作十郎家が行ってきた。これは諏訪神社上社において、守矢神長官家によって祭祀が執りおこなわれたり、硯石が磐座として禁足地の中に鎮座していることと相通ずるものがある。(後略)

 これを読んで、「かつては宅地だったと思える平地」が谷内作十郎屋敷跡で、「作十郎屋敷の安置所」が五輪塔の前とわかりました。

 LCVの特別番組「薙鎌」では、総代が「当元が火災で(日室から)出て行った。その系列(分家)が跡を継いだがそれも出て行った。60数年前は16軒ほどあったが、現在は残った3軒と賛同してくれる人達で神事を行っている」と話していました。