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本渡諏訪神社 熊本県天草市諏訪町 21.12.3

天草の諏訪神社

熊本県天草市 「天草」と言えば「天草四郎」です。橋幸夫の「南海の美少年」を持ち出しても“なにそれ”の時代ですが、さらにキリシタンと続き、10年前の九州旅行では「原城」や「崎津・大江天主堂」を訪れました。
 その天草に「諏訪神社はあるか」と調べると、“例外なく”ありました。その中で、たまたまネットで表示した下天草島の本渡市(ほんとし)にある諏訪神社を、(勝手に)天草を代表する諏訪神社としました。正式名は諏訪神社ですが、字(あざな)を付けて本渡諏訪神社と表記しました。

本渡諏訪神社

 今は合併して天草市と名前を変えましたが、中核となる旧本渡市内とあって、本渡諏訪神社前の道は狭く路上駐車もできません。食費を切り詰めている中で、社前の寿司屋で早めの昼食兼駐車場確保を考えましたが、鳥居前の案内板で裏に駐車場があることを知りました。

熊本県天草市本渡諏訪神社
恵比寿社諏訪神社拝殿

 本渡諏訪神社の境内で、イチョウの根方に広げた絨毯(じゅうたん)に目が行きました。宮司自身の遊び心が掃き寄せたのか、まさに絨毯の四角になっています。その一辺と同じ方向から陽が当たり面白い造形を作っていました。

本渡諏訪神社「拝殿」 拝殿です。大棟や提灯・定紋幕に、神紋「立穀の葉」がある“本格的”な諏訪神社でした。
 拝殿の壁に「温故知新」とある額が掛かっています。末尾の「松本」に、もしやと目を細めると、諏訪大社の前宮司「松本昌親」さんの書でした。

本渡諏訪神社「本殿」 本殿の前景にモミジを入れて撮りました。今日という日が合わないのか長野県ほど寒暖差がないのか、黄葉の鮮やかさが今一でした。
 境内に宮司宅があるということは、本渡市を代表する神社で崇敬者も多いのでしょう。社殿も立派で境内の隅々まで手が入っていることがわかります。

本渡諏訪神社の十五社 本殿裏も庭園と呼べる造作で、池を中心に各種の生け垣が廻(めぐ)っていました。その一画に、何と「十五社」があります。
 長野県の諏訪にも「十五社」が多くありますが、いずれも「建御名方命・八坂刀売命の夫婦神+御子神十三」という“陣容”です。しかし、すでに本殿には建御名方命と八坂刀売命が祀られていますから、境内社の「15」という数は“計算”に合いません。帰りに社務所で訊こうとしましたが、…忘れてしまいました。
 天草は、山国の者にとっては「海産物」が魅力です。しかし、エンゲル係数を低く抑えている旅の身では、「高価な」が頭に付く新鮮な魚介類は禁断です。後ろ髪を引かれながら、フェリーで長崎県雲仙に渡りました。

本渡諏訪神社の由緒

 境内に「由緒書き」が見つからなかったので、ネットで探しました。ところが、どのサイト・ブログも“うり二つ”なので、私も便乗して、コピー元と思われる熊本県観光サイト『なごみ紀行』から「本渡諏訪神社」をコピー(抜粋)しました。あまり詳しくありませんが、参考にしてください。

http://kumanago.jp/event/?mode=detail&id=430000000964&isSpot=&isEvent=
本渡諏訪神社 創立は弘安6年(1283年)。由来は、鎌倉時代の文永11年(1274)、弘安4年(1281年)の2度にわたる「元冦」の折、本渡城主であった天草大夫大蔵太子という女傑が、水軍を率いて出陣した。その時諏訪大明神の御加護により風神が守ってくれたので、その神恩に感謝し、天草氏領土内の総鎮守として、信州諏訪の御本社より御分霊を奉じたのが同神社の創始とされている。

 私は、ここに出る「女傑」という言葉に引っかかりを感じました。また“女の城主”と言い替えられる「大夫大蔵太子」の名称にも馴染みがありません。天草では特殊な“事情”があるのかと調べてみたら、「天草氏は大蔵氏を祖とし」「鎌倉時代は女子にも所領を相続する権利があり、地頭職を娘の大蔵太子播磨局(はりまのつぼね)に譲った」という記述がありました。