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諏訪神社の奉納額「一角獣」 23.8.19

 拝殿内の暗さに目が慣れると、壁に一枚の額が掛かっていることに気がつきました。近づくと、それを避けるように「奉納御柱壱本」を始め「足場材・その他」を寄進した奉納札が幾つも下がっています。その梁を支点にして斜めに見下ろしている格好の絵を、奉納年だけでも確認しようと見上げました。

狩野休真の奉納額 初めはキツネか山犬と思いましたが、何と、頭に角があります。とりあえず「一角獣」としましたが、その説明は避けて「一見に如かず」としました。作者の技法かどうかはわかりませんが、顔が擬人化されているので、どちらかと言えば“妖怪”に見えます。
 現在では「ひっくるめて狛犬」としていますが、正確には「無角が獅子で有角が狛犬」だそうです。この絵は「一本角」なので“狛犬として”描いたと思えますが、作者の「想像上の獣」かもしれません。
 左端は「年男敬白」と読めますが、その他の文字が判読できません。いつもの例で、写真に撮って自宅でゆっくり検証することにしました。

狩野休真作「一角獣」

 額の最上部に「奉献御寶前」と書いてあるのを確認してから、残りの“絵文字”を順に漢字に変換してみました。書き始めの「天保九年」は、『年代表』の「天保九年の干支は戊戌」から「天保九戌年」と確定しました。約170年前の西暦1838年でした。
 次は「夾鐘吉辰」です。人名と見てネットで検索してみましたが、空振りに終わりました。日を変えて再度挑戦した結果、ネット辞書で「夾鐘(きょうしょう)は陰暦二月の異称」「吉辰(きっしん)は吉日」とわかりました。これで「天保九戌(犬)年二月吉日 画之(これをかく)」と繋がりましたが、余りも凝りすぎた表現から、これを描いたのは“教養があり過ぎる人”と決めつけてみました。

休真為貞 残る左の4文字は、(人には理解してもらえない膨大な時間を掛けて)「休真為負」と読んでみました。しかし、これでは意味が通じません。他の文字に「くずし字・くせ字」が見られるので、「休」も「体・伏」と読めます。いったん頭をリセットして、「この行は何に当たるのか」を考えてみました。
 作成した年月日と奉納した人「丑年男」がわかるので、ここに当てはまるのは「絵を描いた人」しかありません。「休真・為負」を(これもまた長時間掛けて思いついた)「雅号・本名」とすれば、「為負」は名前としては相応しくありません。似た字を入れ替えると「為貞(ためさだ)」となりました。“そのつもり”で読むと、やはり「為貞」で間違いありません。
 ここまでの検索の副産物で「絵師・狩野休真」の名が挙がっていたので、本名「為貞」を加えたフルネーム「狩野休真為貞」で再検索をしてみました。しかし、一気に解決するはずが…。
 ネット上では「狩野休真」本人の詳細は見つかりませんが、辞書で「池上休柳(きゅうりゅう)」を見つけました。

【池上休柳】1795−? 江戸時代後期の画家。寛政7年生まれ。池上秀華の父。池上秀畝の祖父。代々紙屋で信濃国高遠藩御用達。同藩絵師の狩野休真に教えをうけ、師に随行して江戸に行き北原安貞に漢籍を学ぶ。(後略)
『日本人名大辞典』

 「高遠藩」は現在の伊那市「高遠町」ですから、ここ下伊那にある「諏訪神社」とは一気に距離が縮まりました。ここで、何かを釣り上げたような感触を得ました。早速計算すると「池上休柳が43歳の時(天保9年)に奉納額が描かれた」ことになるので、師弟の年齢差からも「狩野休真が一角獣を描いた」ことに矛盾は生じません。
 ネットでの情報は既に限界に達しているので、後は図書館で「狩野休真」の本名が「為貞」であるのを確認するしかありません。しかし、この「裏付け」如何によっては全てがひっくり返る可能性があります。絵を描いたのが誰であっても「私には利害関係はない」ので、「一角獣の奉納額は、丑年生まれの人が高遠藩の絵師狩野休真に依頼して奉納した」と断定しました。

 上伊那誌刊行会『長野県上伊那誌 歴史篇』の「絵画」の章に、画家一覧表があります。ここに「吉見休真」が見えますが、「没年/文化 出身地・居住地/高遠町」と合致していても、雅号が「其の他の名/継信」になっています。改名の可能性がありますが、本人とは断定できませんでした。

 “不測の事態”に備えて、この奉納額がある諏訪社の名前は伏せました。