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今井諏訪神社 松本市今井 28.1.12

 「今井四郎兼平形見」と彫られた石碑があります。ネットでは案内板以上の情報が得られなかったので、年が明けた今回の紹介となりました。

 去年の9月26日に、二度目となる沙田神社の例祭を見学しました。その道中での話です。
 徐々に始まった渋滞を嫌って、適当な脇道に入りました。ところが、「抜け道」ではないので、ナビは懸命に国道へ戻そうとします。それに逆らう北西への道を選び続ける中で、「この辺りに」という記憶しかありませんが、諏訪神社があったことを思い出しました。ナビを広域に切り替えると、私の思いを察知したかのように諏訪神社を表示しました。
 そうした経緯で立ち寄ったのが、今回の諏訪神社です。松本市今井という地籍なので、今井諏訪神社と固有名詞を付けました。

今井諏訪神社

 “その時”と自宅に戻ってからの話が交錯しますが、ご容赦ください。

今井諏訪神社

 自宅でこの写真を見て、鳥居の柱に青ススキが飾られていることに気が付きました。諏訪社ですから、例祭日は(一ヵ月遅れの)「御射山祭と同日」で、象徴するものは「ススキ」ということになります。一般的には27日ですが、諸般の事情で直前の日曜日を例祭日としたのでは、と推察してみました。因みに、今年(平成27年)は26日が日曜日でした。

今井諏訪神社
今井諏訪神社拝殿

 存在しない方が返ってスッキリするという淋しい露店の数ですが、これは、その後の走行で、多くの神社の祭りが今日に重なっていたためと理解できました。その前を通り、祭りの準備をしている中で最大の輪になっている氏子の前に立ちました。あくまで地域のお祭りですから、余所者(よそもの)では一言挨拶しておいたほうが不審な目を向けられずに済みます。
 神社総代と思われる責任者を紹介してもらい、撮影の許可を得てから拝殿を覗きました。ここで、三棟並立した本殿の内、右が「正八幡宮」で左が「八坂神社」とわかりました。何しろ飛び込みの参拝ですから、鳥居額の「諏訪神社」だけしかわかっていない状況です。

今井諏訪神社 例祭日のみの特典で、拝殿脇の扉が開放されています。これで本殿をバッチリ撮れるとほくそ笑んだのですが、本殿と拝殿が近接しているので、どうあがいても諏訪社の全体を撮ることができません。
 さらに、例祭日を象徴すると喜んだ五色の幕ですが、かえって彫刻などの詳細をわかりにくくしていることに気が付きました。自宅で見た写真は、曇り空の逆光も加わり期待外れとなっていました。

今井兼平形見 私的に義務化している境内の探索を始めると、社殿の右方に異様とも思える石碑があります。行灯(あんどん)の「兼平」に目を留めてから案内板を読むと、「今井四郎兼平形見石」とありました。
 すぐに「木曽義仲」を連想しましたが、私にとっての「今井兼平」は、漠然とした知識のインデックスのみという存在に過ぎません。

今井四郎兼平形見石
 明治初年、諏訪神社の北方五行田地籍のくぬぎ林を開墾していて、土中から発掘されたと伝えられている。
 市場方地籍の八幡社境内に安置してあったが、大正四年、諏訪神社へ八幡社を合祀した際、この境内に移されて奉祀されている。
 製作年代など、詳らかでない。
* * *
平成十三年三月 今井の文化を学ぶ会

 全文を読んでみたものの、彼については一言も述べていません。そのため、私の今井兼平は「木曽義仲に従った武将」としか思い出せないまま、この地を離れることになりました。

「今井四郎兼平形見」石

今井兼平形見 衆人環視に近い状況だったので、注連縄をずらして、その下にある文字を撮影することは控えました。そのため、写真を拡大して自分なりの“解読”を試みることができません。結局は「平形見」と読んだだけで終わりました。

今井兼平形見 左は、案内板では[***]と省略した部分です。現地では気にも留めなかった内の文字は梵字と理解できましたが、凡人では、読み方はもちろん意味さえわかりません。
 その後、路傍の石造物に同じものがあることに気が付きました。さっそくネットで調べると、すぐに「阿弥陀三尊」を表している梵字と判明しました。ところが、上の()がわかりません。
 高揚している謎解きが冷めないうちに、と阿弥陀三尊の梵字がある類似写真をチェックし続ける中で、梵字と三尊像の双方を刻んだものに注目しました。「これは三尊像を図案化したもの」と“解明”してみたのですが、「二乙 天・二」が…。
 さて、最大の関心事となるのが、この碑自体が形見なのか・何かの形見を説明する碑文なのかという「碑の由来」です。しかし、地元「今井の文化を学ぶ会」は「詳らかでない」と結論を出しています。私はそれに敬意を表して、それ以上の追求をすることは止めました。ただし、暫定の処置として、かつてこの横に遺髪が埋葬されており、それを供養したものとしました。

旭将軍義仲(木曽義仲)・今井四郎兼平・保科正之・木曽家村

 長野県立歴史館蔵『東筑摩郡村誌』から、『今井村』の〔古跡〕を転載しました。

伝称す、今井四郎兼平は元来本村(※今井村)に住し、源義仲義兵を木曽に起すに方(かた)り、義仲に従い信州より北越を略し終(つい)に江州粟津ヶ原にて戦死す。足利尊氏義仲の遠孫家村(いえむら)と云う者を木曾に封し義仲の祀りを起さしむ。是の時に当たりて本村は木曽家村に属す。故を以て有志の者応永年間兼平の霊魂を永々祀らんことを木曽家に請(こ)い、小祠を建以て祀る。兼平の第は塹(ほり)を環(めぐ)らす。今時其辺りを称して塹村(ほりむら)と云。今は田圃人家散在す。

 長野県歌『信濃国』に登場する「旭将軍義仲」ですから、日頃、大河ドラマで取りあげてくれたらという願望があります。しかし、彼の評判は、長野県民を除いては芳しくないので、視聴率の面からはその実現の道は険しいでしょうか。

 (突然ですが)その代わりというか、NHKもそろそろニューフェイスを登場させたらいかが、というのが、私が推薦する「保科正之(ほしなまさゆき)」です。伊那市高遠町で幼少期を過ごした保科正之は『知恵泉』や『BS歴史館』などでも取りあげているので、そろそろという感触はありました。しかし、今年は『真田丸』です。他県の“誘致”もありますから、その実現は遠のいた感があります。

 通りがかっただけの今井四郎兼平縁の旧今井村ですが、ネットの情報では幾つかの旧蹟があるようです。また、初めて知った「木曽家村」も気になります。「暖かくなったらゆっくり散策」の一つに加えました。