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市野瀬諏訪社 伊那市長谷市野瀬 24.11.16

伊那市長谷市野瀬 熱田神社参拝の折に、旧長谷村の諏訪神社を三社参拝しました。
 熱田神社から三峰川(みぶがわ)を遡ると、急に山が後退し、この山間に“なぜ”とも思ってしまう家々の屋根が重なっています。それまでは山の斜面を眺め続けてきたので、隠れ里を目にしたような思いでした。1/25000地図では、この市野瀬には鳥居の凡例が二つあります。旧道で目にした観光絵地図に秋葉神社があるので、ここに載っていないのが諏訪神社とわかりました。

諏訪社 村社(※旧市野瀬村)
創立 文治年間(11851〜1189)
祭神 建御名方命
例祭 10月10日

長谷村誌刊行委員会『長谷村誌』

市野瀬諏訪社

市野瀬諏訪社 メモしてきた地図通りに、郵便局近くの「戸倉山登山口」とある山側の小道を選ぶと、すぐに鳥居が見えました。ところが、道路に接しているので、斜めの方向となる鳥居額の字が確認できません。過去に何回も経験した“振り出し”に戻る覚悟をしながら鳥居を正面にすると、…「諏訪神社」でした。

長野県神社庁の表記は「諏訪社」ですが、以降は諏訪神社で進めます。

 11月半ばの11時過ぎという時間帯ですが、山陰とあって、この季節には恵みとなる日射による暖かさがまったくありません。手先に冷たさを感じながら上壇に上がると、拝殿と幾つかの小社殿が並んでいました。
 拝殿の屋根に「諏訪梶」の鬼板があるのを確認して、格子戸の前で柏手を打ちました。左右の境内社を巡拝する中で、足元に落ち葉が見られないことに気が付きました。掃き目があるので昨日にでも掃除をしたのでしょう。下壇に目をやると、落ち葉をまとめた山が幾つかあり、窪んだ中にまだ霜が白く残っているのが見えました。

市野瀬諏訪社「境内社と俳句額」

 左が「熊野宮」の覆屋で、右が本殿の覆屋です。共に俳句の奉納額が掛かっていますが、それより、壁面に作られた棚に小さな木祠が並んでいることに注目しました。
 向拝柱に附けてある小さな木札を順に読んでみますが、馴染みのある社名や祭神名はありません。初めて来た市野瀬ですが、先ほどの絵地図に「城山に秋葉神社」とあったのを思い出したので、「城山」から木札の文字は「地区名」と理解しました。氏神ではなく、市野瀬の各地区に祀られていた鎮守社ということでしょう。祠の数から、小字(こあざ)毎に祀っている神社を、明治の神社合併時に諏訪神社の境内に移した考えてみました。このような祭祀方法を初めて見たので、写真とともに紹介してみました。

市野瀬諏訪社「本殿」 本殿は覆屋の腰板が高いので上部しか見えませんが、「流造」に破風(はふ)を二つ組み合わせていることがわかります。部材の一部が黒くなっていますから、かつては漆か墨で塗られていたのでしょう。改めて、拝殿から格子戸を透かした本殿を注視してみました。暗くて定かではありませんが、黒い社殿額が見えます。身舎(もや)は白木なので、拝殿の写真でわかるように、屋根と破風だけを黒く塗ったのかもしれません。

市野瀬諏訪社の御柱 道路から見納めに振り返ったら、御柱があるのに気が付きました。諏訪神社であっても全く予想していなかったことと、社殿の周囲ではなく、下壇に一本だけという設置が目に入らなかった原因でしょう。
 たまたまの大掃除直後ということかもしれませんが、久々によく手入れがされた神社を参拝することができました。

 諏訪神社とは関係ありませんが、市野瀬には「ゼロ磁場の宿入野谷」があります。食事や入浴もできますが、外観を眺めただけで次の杉島諏訪神社へ向かいました。