薩摩半島において、並立鳥居をもつ神社で最南端に位置するのが枕崎市です。その市内にある町「鹿篭麓」を「かろうろく」と読みましたが、「かごふもと」でした。
カーナビが案内したのは、神社っ気がまったくない場所でした。ところが、道脇のコンクリート壁に「南方神社へ→」の標識があります。改めて駐車場を探すのも面倒なので、高架下にあるゴミステーションの隅を借用しました。
二つ目の標識で上りとなった小道を伝うと、社殿を横から眺めるという境内に出ました。まずは並立鳥居ですから、最下壇まで降りてみました。
石橋がいい感じです。カメラを地面に接するようにして並立鳥居を撮りましたが、小さくなってその存在が薄くなってしまいました。その代わりが以下の写真です。
笠木に、(シダの仲間としか言えない)シダが生えています。土がないのに生い茂っているのが不思議ですが、着生植物とすれば納得できます。笠木と柱のわずかな隙間に根を張り、上の大木が格好の日傘になっていますから、空中の水分と養分を取り入れるだけで繁茂できるのでしょう。
南方神社の拝殿です。これまで、諏訪系神社の社殿や鳥居・賽銭箱が赤く塗られているのを多く見てきました。ところが、ここ鹿篭麓町では薄緑が加わっています。神社のイメージを“塗り替える”カラフルさですが、もちろん「南国だから」という説明はつきません。なぜ、こうなのでしょう。
拝礼するために正面に廻ると、左方にある社務所に人の気配が感じられます。神職が常駐しているとなれば、この地を代表する神社ということになります。今回は並立鳥居の旅なので、“社格”といったようなものは頭に入っていません。
「白い本殿」です。漆喰だろうかと仰ぎましたが、塗られた白でした。
始めは神社にそぐわないとしましたが、人間とは勝手なもので、眺めているうちに「これも在り」と違和感が消えていきました。
渡殿との間が囲われているので、正面の造りや彫刻は見ることができません。その時にまた緑の色を意識してしまい、なぜを反復してしまいました。結局、拝殿の緑色は疑問のままで、並立鳥居のある神社を後にしました。
この神社は、海まで4Kmもない場所にあります。台風による潮風の影響も大きいと思われますから、社殿の腰板を銅板で覆ったと考えてみました。それが腐食した緑青(ろくしょう)がきれいと評判になり、改築時にそれをイメージした色に塗ったと考えてみました。ただ、緑から緑青を連想したことから始まった推理ですから、突拍子もないと言われれば、…それまでです。
それより、昔から「青丹よし」の詞がありますから、これが社寺の伝統色かもしれません。
境内にある案内板です。
ここに「御扉(神殿扉)が横並びに並立」とあるので、正面から撮っておいた写真を確認しました。
実は、本殿の前部が覆われているので外から観察できず、この写真も「なんか白っぽくて、変な造りだなー」としてお蔵入りをしていました。
改めて注視すると、左右に分かれた白いパネルが扉であることがわかります。そのつもりで見ると、鍵穴もありました。一般的に言う「相殿」形式でした。ただし、これを「並立」と書くのは微妙です。「並列」としたほうが…。
やはり、頼りとなるのは『鹿児島県神社庁』です。以下は〔南方神社〕の一部ですが、案内板と同文の「諏訪神社から南方神社への改称」についての経緯が書いてあります。わずか二行ですが、私には、これが唯一の情報源となっています。
冒頭に、「島津氏族伊集院ひろ久」があります。島津氏の支族である伊集院ひろ久ということですが、なぜ平仮名なのか疑問を持ちました。神社の案内板では「照久」なので、単なる変換ミスとしました。
しかし、権威ある神社庁です。気になって(人はこれを暇人の暇つぶしと言いますが)「伊集院照久」をネットで調べると、一般的な人名として表示します。これは変だと「伊集院 系図」で再検索すると、「熙久」が浮上しました。そう、元総理大臣「細川護熙(もりひろ)」の「熙」です。
再び「熙」を調べると、異体字に「照」はありませんが、〔名乗〕に、つまり人名としての読みに「てる・ひろ」がありました。これで南方神社と神社庁の表記の違いがわかりましたが、平仮名はともかく、「ひろ」に「照」を当てるのは間違いということになりました。