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甲斐 松原諏訪神社 北杜市白州町 21.4.8

 ここに登場する「松原諏訪神社」は山梨県北杜市白州(はくしゅう)に鎮座しています。長野県南佐久郡小海町の「松原諏訪神社」ではありません。

征東将軍宗良親王

 境内にある案内板です。

祭神 建御名方命
由緒 寛政7年(1795)11月18日再建の棟札が現存する。

其他 白須松原は南北朝時代、征東将軍宗良親遠州井伊谷より信濃の保科氏をたよっ山伏姿に変装しこの松原にしばし休まれた。

〜御歌〜
「かりそめの行かひぢとは ききしかど

いざやしらすの まつ人もなし」

白州町教育委員会

 どうして目に付いてしまいます。「五→王」で、「たよっ」は「て」が抜けています。間違いと思った「征東将軍」は「征夷大将軍」の別称なので、これは○でした。
 「其他」に誤記があったので、念のために「御歌」を何回か読み直してみました。その結果、間違いはなかったのですが、「行き交い路」と「甲斐路」・「白州」と「知らず」・「待つ」と「松」が掛詞(かけことば)であることに気が付きました。

 さらに調べると、宗良親王が、『古今集』にある在原滋春の「かりそめのゆきかひぢとぞ思ひこし 今は限りの門出なりけり」 を念頭に置いて、「甲斐国しらす(白州)といふ(言う)所の松原のかけ(陰)に、しは(ば)しやすらひ(休らい)て」上記の歌を詠んだことを知りました。掛詞はわかっても和歌には疎いので、解釈は止めて諏訪神社参拝記に戻ります。

松原諏訪神社

松原諏訪神社

 拝殿前に軽トラックが停まっています。祭りの準備だろうか、とのぞき込むと壁の修理をしていました。撮影の許可をもらいましたが、床を見ると埃と木屑とネズミの糞らしきものが…。躊躇して「土足でいいか」と再度許可を求めると、これはあっさり断られました。

松原諏訪神社「本殿」 大工さんの作業日程と重なったことで本殿の写真を撮ることができます。祭神より「福の神」となった彼に感謝しながら拝殿に上がり込みました。外からの見た目に比べてかなり広く感じます。かつては、神楽などが舞われたのでしょう。
 最奥に鎮座している本殿は、小さいながらも彫刻があります。かなり暗いのですが、心身とも動きを止めてシャッターを押すと、自然光の柔らかな姿が撮れていました。「本殿正面の写真は撮るべきでない」とわかっていますが、“写真に関しては”几帳面な性格なので、今回も左右対称になってしまいました。

松原諏訪神社参拝“秘話”

 話は変わりますが、ネットの「神社参拝記」などには、よく「気(存在)を感じて涙が出た」というようなことが書いてあります。私にはそのような経験は一度もありませんが、諏訪神社を巡拝していると、人との出会いで“取材”がスムーズにいくことがよくあります。「たまたま・偶然」という言葉に置き換えることもできますが、その確率が高くなってきたと思うことがあります。
 実は、「ようやくたどり着いた」と実感を込めて書けるほど、今日の諏訪神社は遠くにありました。山梨県は隣県ですが、自宅→富士見町→県境→山梨県北杜市ですから、車ならひとっ飛びです。それが…。

 何年か前、国道18号で甲府方面に向かっているときに、左方の林の手前に、平屋で横長の建物があることに気がつきました。一軒家だからといって神社であるとは限りませんが、本にある「諏訪神社の住所」と記憶にある「松原」から、「松原諏訪神社」を当てていました。
 旧鳥原村の諏訪神社参拝を計画したので、同じ道順に当たる松原諏訪神社をネット地図で探しました。ところが、旧白州町の国道脇には、字(あざ)「松原」はあっても神社の凡例がありません。それは“映像”として今でも記憶に残っていますから、異なった場所にあったのを松原と思い込んでいたのでしょうか。

 ネット地図では神社の規模に関わらず載せていない場合があるので、まず「平屋で横長の建物」の前に立つことを考えました。今や朧気(おぼろげ)となった場所なので、左方を注視し続けます。しかし、特徴ある建物を見つけられません。路上駐車はしたくないので、国道と並行している旧道で駐車場所を確保してから徒歩で探すことにしました。
 旧道に入ると、国道に面した空地に県警のパトカーと警察車両が多数停まっています。スピードの取り締まりです。この辺りは「松原」で知られてドライブインなどの施設がありましたが、中央自動車道の開通が原因と思われる廃業で無人となっています。そのため、旧道側から眺めると、国道に面した広い駐車場が取り締まりには格好の場所となっているのがよくわかります。先ほどは私もその前を通過しましたが、セーフでした。
 応援に来たと思われるミニパトカーは駐在所の車です。「訊くなら地元の方」と、傍らに立っている駐在さんに「国道沿いに諏訪神社があるはずですが」と尋ねました。初耳らしく、車から住宅地図を出して探し始めました。周囲の警察官にも尋ねてくれましたが、結局「わからない」で終わりました。
 場所が大きく違っている可能性が大きくなりましたが、国道から見える範囲内に「目的の物がない」ことを確認してから移動することにしました。一つの脇道に入ると奥に人家があります。これから出かけるという家人を捕まえましたが、首を振るばかりです。背後のエンジン音に振り向くと、先ほどのミニパトです。駐在さんは「諏訪神社は、サントリー白州蒸溜所入口のコンビニの裏」と教えてくれました。深くお礼をした後で「どうしてこの場所がわかったのか」と問うと、「この道を入っていくのが見えた」と返ってきました。

 これが松原諏訪神社へたどり着くまでの顛末です。取り締まりをやっていても捕まらないばかりか、その現場にいた駐在さんに神社への道を教えてもらい、さらに、その時間に神社の修理をしていた大工さんに拝殿の中に入れてもらえたという“連鎖”は、諏訪明神の御加護としか思えません。しかし、時間とお金をかけても「神も仏もないものか」で撤退することもありますから、平均すれば、私はやはり「普通の人」なのでしょう。

松原諏訪神社 結局、私が思い込みで諏訪神社とした建物は見つかりませんでした。左写真は、横方向から見た“正規”の松原諏訪神社の拝殿と本殿の覆屋です。参考までに載せました。周囲は林ですが、「鎮守の杜」と言える大木がありません。草地だったのか老木を伐採して植林したのか、過去の景観は知る由もありませんが、写真の通りかなりサッパリしています。
 この奥に「サントリーウィスキー博物館・白州蒸溜所」があります。見学の他無料の試飲ができるとあって、運転手任せのバス旅行では人気のスポットです。私は「洋酒より諏訪神社」ですから、「白州松原諏訪神社」を参拝して帰途につきました。

“しょんべん松原”

 「松原」は、諏訪人にとっては「しょんべん松原」で知られています。山梨・東京方面のバス旅行は今は「中央自動車道」ですが、かつては国道経由でした。「松原」辺りのドライブイン(または立ちション)が距離的にも時間的にも「トイレタイム」に最適だったので、自然発生的にその名が付いたのでしょう。
 現在は道脇に、気が付いた人だけが「駐車車両が一台もない何かの施設」としてチラッと眺めるだけです。“中央道以後の人”は、その名前は聞いたこともないでしょう。まったくの死語になってしまいました。