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北又の諏訪社と御射山社 下伊那郡下條村北又 25.7.13

下伊那郡下條村 下條村の北又に御射山社があります。この神社に対応する諏訪神社の存在が気になっていましたが、ひょんなことで見つかり、旧北亦村の「御射山神社−諏訪神社」を完結することができました。

北又御射山社の境内社

 下條村誌編集委員会『下條村誌』に、「御射山社の社域は広く、傍には旧社殿だったという建物がある」という記述があります。

『陽皐村(図)』

 これが、穂屋の左にある社殿を指していると考えました。しかし、木肌の状態から、この社殿は御射山社より新しいもののように思えます。

諏訪社と御射山社の神紋 神紋も、写真では(微妙なところですが)「4本根・5本根」の違いがあります。そのため、“諏訪社”であることは間違いありませんが、御射山社に対してどのような位置付けをしたらよいかと決めかねていました。

北亦(北又)の諏方社(諏訪社)

『陽皐村(図)』 『信州デジくら』で公開している資料を閲覧する機会がありました。ついでに『陽皐村(図)』を開いてみると、「北又」に「諏方社(諏訪神社)」を見つけました。「御射山社があるなら、近くに諏訪神社があるはず」と長らく頭の隅に引っ掛かっていましたから、「これだ」と確信しました。
 ところが、ネットで閲覧できるすべての地図に目を通しましたが、鳥居は存在していません。明治初期の道と現在の道路が大きく食い違っていることもあって、諏訪社はすでに消滅したとの結論に傾きかけていました。

 そんな中で、“あること”に気が付きました。明治期に行われた神社の合併です。ここに来て、御射山社の境内にあった小社が「諏訪神社」であることに思い当たりました。『陽皐村(図)』では、当時の国道である「遠州金刺街道」までの距離に両社の違いは見られません。当時の氏子の数や社殿の大きさなどの理由で御射山社を“残した”のでしょうか。

北又の御射山社
北又御射山社の本殿

 改めて「下條村の変遷」を調べると、明治22年に、菅野村・吉岡村・鎮西野村・下新井村・仁王関村・入野村・合原村・北亦村が合併して「陽皐村(ひさわむら)」となったことを知りました。諏訪大社が鎮座する地から大きく離れている北亦村ですが、村内に「御射山社−諏訪社」を再現したことがわかります。本来は、諏訪社の摂社が御射山社という“位置付け”ですが、この村では「村社が御射山社」ということだったのでしょう。