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御射神社秋宮と烏帽子岩 松本市 浅間温泉 26.7.17

 長野県神社庁では「御射社(春秋二座)」で表記しています。一般には「御射神社」のほうが通りがよく、鳥居額も「御射神社秋宮」なので、ここでは「御射神社」としました。

御射神社秋宮

 御射神社春宮の参拝を終え、「いざ山の向こうの秋宮へ」とカーナビを立ち上げたものの、…当てにしていた「秋宮」が表示しません。取りあえず、覚えていた集落の中心部を目的地にしました。
 この先は御射山が転じた「三才山トンネル有料道路」ですが、今日は神社ですから、右折して山裾の集落へ向かいます。大ざっぱなセットですから、すでにカーナビからは見放されています。仕方なく、神社が車窓から見える保証のないまま集落の奥へと進みます。いよいよ切羽詰まり、これは地元の人に尋ねるしかないと、その人影を求めて歩き始めました。

御射神社秋宮 宅配のトラックが、山際から続く道を下ってきます。車と行き違いになるその先を見ると、写真で見ていた朱の鳥居がありました。大汗をかかずに済んだことにホッとし、鳥居近くの道脇に日陰を見つけて車を移動させました。車載の外気温計を確認すると、すでに真夏日となっています。

 拝殿の前に立つと、二基ある案内板から、本殿が四棟あることを知りました。

御射神社秋宮
 古くは浅間社と呼ばれ浅間郷(本郷六ヶ村)で、本郷山と女鳥羽(めとば)川を祭る社で烏帽子の前宮。建武二年(一三三五)赤沢氏により諏訪から御射山社を勧請合社して御射神社秋宮となった。
 虚空蔵(こくぞう)宮は寛文八年(一六六八)松本城主水野忠職(ただもと)が、松本城の鬼門除けとして再興、家紋人りの幟十本を寄進、元禄六年(一六九三)忠直は虚空蔵(旧浅間社)の神像を氏子とともに奉納、以後歴代城主は崇敬し社殿の修復をした。
 他に子安宮と鎮守社を祭る。昭和二九年まで、祭典には、ここから押鉾(おしほこ)が浅間の春宮との間を往復した。
平成一一年三月 本郷地区景観整備委員会  

 「烏帽子の前宮」がかなり気になりますが、手持ちの知識ではどうにもなりません。拝殿で参拝を済ませ、その横を回り込んで横並びの社殿を目の前にしました。

御射神社秋宮本殿
左から、虚空蔵宮・御射大明神・子安社・鎮守社

 ここへ来るまでに抱いていた「本殿が一棟」という予想は外れましたから、先ほど参拝した春宮とはまったく趣が違った御射神社秋宮ということになります。「本郷地区景観整備委員会」の名がある案内板を転載しました。

秋宮の社殿

鎮守社 子どもの腹神様として崇敬され、明治四四年西北の山から神社合併する。

子安宮 安産と子育ての神、文化九年(1812)修復の社殿である。

御射大明神 祭神は建御名方命。享保一九年(1734)建築の古い様式が残っている。

虚空蔵宮 松本城の鬼門除けの神。明治一八年の建築で明治の新様式が見られ優れる。

子安宮 拝殿の背後で本殿を壇上に仰ぐ位置にフェンスがあります。底の抜けたヒシャクが掛かっていますから、子安宮がその対象となります。“既製品”が手に入らないのでしょう。それぞれが手造りとなるいびつな穴の造形が面白かったので、左側の子安社とともに紹介しました。

御射神社秋宮の本殿

御射大明神 御射神社秋宮の主祭神:建御名方命を祀る御射大明神社です。両側の社殿をトリミングするのは畏れ多いと、拝殿と神木でカットするレイアウトにしてみました。
 諏訪社(御射山社)以前の浅間社が本来の神社ですが、浅間山や富士山とは無縁のこの地になぜ「浅間」なのかはわかりません。もちろん、旧浅間村や浅間温泉も同様です。
 帰りに寄った地元となる旧本郷村の図書館でしたが、『本郷村誌』では案内板以上の情報は得られませんでした。

烏帽子の前宮 −古の浅間社を探る−

 明治11年の長野県『東筑摩郡村誌』の「岡本村」に、御射神社について補足するような記述があるのかを確認してみました。その中で、〔山〕の項に「烏帽子嶽」、〔名勝〕の一つに「烏帽子巌」があるのを見つけました。文中に「三才山」が見えるので、御射神社春宮の案内板に出る「烏帽子(の前宮)」に違いありません。

烏帽子巌 高二十丈本村卯(※東)の方にあり、象紳の装束して座するに似たり、故に烏帽子の号あり、三才山より峻山巌崛(岩窟)を経て登る事一里六丁余にして到る、左を地獄谷と云う、ー(厳)山斜なる所に烏帽子巌あり、上烏帽子に似て左右の烏帽子巌(祹・祠?)あり、下座するが如く天造自然の奇象なり、ー面少し窪なる所に赤色の苔あり、土人是を朱なりと云う、往昔人之を採らんと欲し木を伐り足代(足場)を架す、一夜にして地獄谷へ壓倒(圧倒?)す、変じて岩となり 方面尺許りの立岩筆の如く競い並べり、実に有名の佳巌なり、是を材木岩と云う、
JISにない漢字なので、画像で表示しました。

 『町村誌』といっても手書きなので、旧字や当て字と思われる難読字が多数あります。昭和生まれではどう頑張っても明治の文章には太刀打ちできませんから、わかる範囲内で補足しました。

烏帽子巌
「岡本村」の添付絵図。内が「烏帽子の前宮」か?

 “核心”となる、JISでは「」としか表示しない「烏帽子巌」ですが、音読みは「とう、どう」なので、「塔・堂」のどちらかが当てはまりそうです。
 『郡村誌』に今では写真となる挿絵が載るくらいですから、かなり有名な名勝であることがわかります。“裏を取る”ためにネットで調べてみると、多数の「烏帽子岩」が表示しました。絵図の余りの奇岩ぶりにかなり誇張してあると思っていましたが、写真と比較しても大差ない姿でした。また、小さな祠があり、案内板には

烏帽子岩(烏帽子権現)
 古代より神が降る磐座として崇められ、山の神として、また女鳥羽川の源流の水神として信仰された。
 御射神社秋宮や一の瀬・稲倉の水口神社の奥宮でもあり、古くから雨乞いが行われた。
  平成一二年三月
本郷地区景観整備委員会

とあるのが読み取れました。まさしく「烏帽子の前宮」でした。

烏帽子ノ岩 御射神社の“根本”となる烏帽子岩なので、探して、明治初期とある長野県立歴史館蔵『岡本村略図』から「烏帽子ノ岩」の部分を転載しました。で囲った赤い鳥居には「権現」と書いてあります。
 こうなると、自分の目で烏帽子岩を見たい衝動に駆られます。しかし、現在の気力と体力では…。とりあえず、条件が良くなる(大汗をかかずに済む)晩秋に決行としました。