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南宮神社秋宮と御符社と御射山三社の不思議な関係 24.7.25

 長野県上伊那郡箕輪(みのわ)町にある「御射山三社」は、ネットの地図では、いずれも「番場原公園」の南東にある“御射山三社”を表示します。ところが、観光絵地図は勿論のこと、『箕輪町誌』でさえ「御射山三社は総称」とし、御射山三社の場所は「御旅所」と書いています。

御符社と南宮神社秋宮

 「東山山麓歴史コース 三日町地区」とある案内絵図の一部を転載しました。

南宮神社の遷座
※ この絵図は、秋宮社の前に設置してあるものです。

 この絵図では「御旅所」とある御射山三社を再訪した帰りに、道端に掲げられた案内絵図を見つけました。本を読んで記憶にあった「御符社」と「秋宮社」が載っているので、両社を参拝しながら自宅へ戻ることにしました。しかし、カーナビは、該当する位置にスクロールしても神社は表示しません。取りあえず推定地としてセットしました。

御符社

御符社 「御符社」と書かれた小さな案内板を見ましたが、適当な駐車場所がありません。探している内にやや離れてしまいましたが、「役場跡」の標柱がある空き地に駐めました。徒歩で戻り、矢印で示された山手へ向かうと再び標柱があり、右に折れた山路を伝うと鳥居が現れ、それをくぐると御符社でした。

御符社本殿 カメラを覆屋の格子の間から差し込んで撮ったので、盛大な台形歪みが出ています。強引に修正したので、やや“現実離れ”した御符社になってしまいました。絶対多数の人々にとっては“撮る”に足らない神社ですが、私は「御射山祭の古礼が残っている」として強く惹かれます。
 右手前にある「神明社」の覆屋を覗くと、向拝柱に結わえられたソヨゴの葉が黒く変色しており、何か異様なモノとして映りました。本殿の周囲には境内社と思われる小祠が幾つも置かれていますが、すでにその祭主を失い祭神も忘れられて久しいのでしょう。注連縄が褐色の縄だけになっていました。
 両社の覆屋の格子にはまだ新しい扇子が結わえてありますから、お宮参りの儀礼だけは健在ということでしょうか。

南宮神社「秋宮」

南宮神社秋宮本殿 次は「秋宮社」です。「竜東線」とある道から天竜川が見えると、道に沿って建つ鳥居が見えました。鳥居と言うより、今まさに幟を上げようとしている人の集まりで神社とわかりました。
 この光景を見てピンと来ました。先ほど(昼に)南宮神社(春宮)で「御鹿(おしし)奉納」と「御渡(わたりまし)祭」を参観していましたから、その遷座先がこの秋宮社とわかったからです。実は「南宮神社の遷座祭」をよく理解していなかったので、遷座先が御射山三社と思い込んでいました。その結果、誰もいない“普段の御射山三社”の前に立つ羽目になりました。しかし、帰宅の途中で立ち寄った神社が遷座先であることがわかりましたから、建御名方命は“我を見捨てず”でしょうか。

南宮神社秋宮本殿 遷座祭の詳細は「南宮神社・御鹿奉納」で御覧いただくとして、拝殿の額には「南宮大明神」とある秋宮社の本殿です。境内の案内板には「秋宮社の本殿は、箕輪南宮神社と同じ諏訪の大隅流宮大工伊藤長左衛門の作である」と書いてありました。こちらも歪みを修正していますが、御符社より二回りほど大きな社殿です。格子戸を取り払ってあるので楽に撮れました。

「御射山三社」は“総称”なのか?

御射山三社の社殿額 すでに何回か登場している「御射山三社」ですが、箕輪南宮神社に関する文献を読むと「御射山三社は◯◯の総称」という説明がよく出てきます。しかし、地図には「御射山三社」と書かれており、その拝殿は「御射山三社」の社号額を掲げていますから、何かスッキリしません。
 「こうなると私の出番です!!」とばかりに資料を集めてみました。ただし、諏訪の図書館ですから内容に偏(かたよ)りがあるのは否めません。

 三日町地区設置の案内板『秋宮社』です。

 秋宮社は御射山三社の一つ。御射山三社とは御符社・秋宮社・御旅所(大神は例祭日のみ鎮座)と三ヶ所に社殿を有しその総称である。古伝によると、御符社の前身は往古西箕輪の与地、羽広の里に鎮座していた御射山大社といわれる。

 箕輪町誌編纂刊行委員会編『箕輪町誌 歴史編』から、関係ある部分を抜粋して転載しました。

 三日町の御射山三社は、与地(現伊那市西箕輪)「御射山大社」を遷座したものである。…
 御射山三社は、隔離した境内にそれぞれ本殿が在り、総括的な名称である。御符社は古くは神符社と書かれた。前身は与地に創立の「御射山大社」である。…
 御射山三社の一社である箕輪南宮神社秋宮に対し、木下の箕輪南宮神社は春宮で、…
〔諏訪信仰と御射山祭〕[三日町の御射山三社]

 「総括的な名称」としていますから、“三日町”の御射山三社は「御符社・秋宮社・御旅所」となります。
 同書の〔寺社と民間信仰〕にある[箕輪町神社一覧]から、村名「三日町」を抜き書きしました。

鎮座地神社名祭神旧祭日
 三日町 町裏 秋宮 国常立命
 大己貴命
 建御名方命
 御子神十三神
 九月二十七日
    二位殿坂 御射山三社
 御符社
    御射山 御旅所

 『箕輪町誌』は「総称」の立場をとっていますから、祭神を一絡(から)にしています。しかし、御射山三社と御符社を同列に置いているのが理解できません。

 『箕輪町誌』以外の資料を挙げてみました。

 中箕輪村村木の下箕輪南宮社(春宮)、箕輪村三日町の箕輪南宮社(秋宮)神府社(御射山)を併せて御射山三社と称した
唐澤貞治郎編『上伊那郡史』

 ここでは、「南宮神社春宮・南宮神社秋宮・御符社」を挙げています。しかし、春宮は御射山祭が行われる時期には“無神”の状態ですから、三社に春宮を含めるとおかしなことになります。

御射山三社は御射山にあり

 これとは別に「里宮三社」と表記した本があります。

御射山三社
 箕輪村三日町字御射山に在り、(中略) 文安二年に至り箕輪城主箕輪左衛門義雄(みのわさえもんよしお)里宮三社を創立す。其一は字二位殿坂に国常立命・大己貴命並御孫十三神を祀る。是を御符ノ社と号す。又字町裏に一社を建て南宮秋宮と称し建御名方命を祀る。而して天竜川以西木下へ社殿を建て南宮春宮と称し、(後略)
佐野重直著『南信伊那史料』

 ここでは、御射山三社は「御射山に在り」とし、「南宮神社春宮・南宮神社秋宮・御符社」を「里宮三社」としています。里宮に対しての山宮が(地図上に表記がある)御射山三社ですから、“御射山祭”の観点からは理にかなっています。

  再び『箕輪町誌』の[御射山三社の祭事]にある現行の神事です。

 午後2時御符社より神輿に国常立命・大己貴命を奉遷し、氏子当役が供奉して箕輪南宮神社秋宮に向かい、ここで建御名方命を神輿に奉遷し、氏子中(三日町)を巡幸して御射山の御旅所に安置し、宵祭りを行う。昔は当日掘建小屋をつくり、屋根を青萱で葺いたものを三社別棟に並べて建てた。(以上抜粋)

 『南信伊那史料』を参考にして読めば、「里にいる祭神三柱が、御射山に作った三棟の穂屋に三日間だけ遷座する」ということですから、その御旅所を総称して「御射山三社」と呼ぶことは不自然ではありません。むしろ、(変な言い方ですが)「地図上に表記がある御射山三社が“御射山三社”である」とした方が自然でしょう。拝殿の神号額とも一致します。

御符社が御射山三社?

 御射山三社の住所を『長野県神社庁』の〔神社紹介〕で調べたら、「三日町字二位殿坂2017」になっていました。これは御符社の住所です。一体どうなっているのでしょう。ところが、これは[箕輪町神社一覧]で“同列の不思議”とした表記「御射山三社・御符社」と一致しています。

御射山三社御旅所奥殿にある棟札「御射山三社」

御射山三社の本殿 三日町では「御旅所」と呼んでいる御射山三社です。『箕輪町誌』の写真には、「御射山三社御旅所奥殿」と説明があります。
 一棟を三部屋に仕切り、各々に国常立命・大己貴命・建御名方命が遷座しますから、正に“御射山三社”です。

棟札 外観はトタン葺きですが、萱葺きの屋根裏に「奉葺替御射山三社假神…」とある棟札が見えます。「假神…」は「仮神殿」で、かつての穂屋のことを仮屋として残していると思われます。この棟札を見ると、御射山三社は、(度々の言い回しになりますが)“地図上にある御射山三社”であるのは間違いありません。
 “箕輪町の公私の資料”では、「南宮神社秋宮・御符社・御旅所の総称が御射山三社」です。一方で、御射山祭の期間中は各三柱がそのまま御射山に仮鎮座しますから、これも御射山三社と呼んでも構わないことになります。結局は、町外の私が口を挟んでも、箕輪町には箕輪町の道理があるということでしょう。