諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪神社メニュー /

妹背牛 千秋諏訪神社 雨竜郡妹背牛町 21.7.2

map 初めは「いもせうし」と読んだ「妹背牛(もせうし)町」に「諏訪神社」があります。「妹背牛 神社」で検索すると、「妹背牛神社。樹齢800年のハルニレと例祭」で多く表示しますが、「諏訪」を割り込ませるとサッパリです。唯一『妹背牛町HP』内の〔もせうしふるさとマップ全町版〕に、参照先として通し番号の「ニ」があるだけでした。
 その場所を地図サイトで確認すると、名前はありませんが鳥居の凡例がありました。その地図には、神社裏から南に掛けて「」形の池(沼)が多く目に付きます。かつては複雑に蛇行していた雨竜川の名残と想像してみました。

妹背牛諏訪神社

 岩見沢市美唄達布(びばいたっぷ)から駆け付けました。

妹背牛諏訪神社

 快適な道から麦畑の中の砂利道を選ぶと、その突き当たりが諏訪神社でした。社号標も鳥居もありませんから、今では、地元の人でも神社とは気付いていないかもしれません。

妹背牛諏訪神社覆屋 しかし、「諏訪」を表すものは何もありません。途中にも神社が見えましたから、「もしかして神社違い」との疑念も広がってきます。大まかな観光マップでも妹背牛町を信用するしかない、と腰を据えました。神社の背後は川のはずですが、生い茂った灌木が見えるだけでした。

妹背牛諏訪神社「本殿」 拝殿を覗くと、奥に簡素な本殿が見えます。手前には太鼓と石油ストーブがあります。両脇にスポンジが飛び出た座布団が見えますが、注連縄が今年のものなので氏子の人達がしっかり祀ってくれていると安心しました。
 映り込みで反射するので、扉のガラスにカメラを押しつけます。ガタがある分だけ隙間ができるようで、中から「記憶にある異臭」が漂ってきます。「変だなー」と床を見ると、カーペットの上に死骸が! …鳥で安心しました。中型の鳥が5匹も横たわっています。何かの拍子で入ってしまったものが出られなくなったのでしょう。

妹背牛諏訪神社「奉納稲」 壁に根付きの稲が掛けられています。巻いた奉紙を読むと「ほしのゆめ」です。ひらがなの「星と夢」に、北海道では子供が「七夕」に稲を奉納するのか、と連想しました。すぐに、目を移した「きらら」から稲の品種と気が付きましたが…。7月に稲が奉納できるわけがないか、と貧相なイメージに一人苦笑いをしてしまいました。
 撮った写真を拡大し、北海道の品種を参照して確定したのが、「平成六年ゆきひかり」「ほしのゆめ平成十四年」「平成十六年きらら397」でした。その年に収穫した稲を奉納しているようです。

地神 境がないので境内という実感がありませんが、離れた場所に「地神宮」碑があります。裏に廻ると「大正十年氏子一同」とあります。岩内郡共和町の「諏訪神社旧跡」も「地神」でしたから、北海道独自の境内社があるようです。
 「諏訪神社の証」がないときは床下まで注視することがあります。帰り際に、「見落としがあっては」と拝殿の床下を覗くと、見てはいけないものがありました。一升瓶がゴロゴロしています。(ご丁寧にも)数えてみると、半分土に埋もれたものを含め50本以上ありました。これも諏訪神社の歴史でしょうか。

 妹背牛町役場総務課編『妹背牛町誌』に「諏訪神社」の記述がありました。

 明治31年、諏訪神社の御分霊を奉斉したことに始まる。また、千秋の神社には女の神様をお祀りしていると云われている。長野県の諏訪神社には建御名方命をお祀りしており、千秋地区における伝承との間に相違が認められるものの、資料は残されていない。昭和40年頃改築し、堤防工事で境内地が縮小した。

 北海道の諏訪神社で神紋が確認できたのは三社だけですが、いずれも「諏訪大社下社の明神梶」でした。諏訪神社の総本社諏訪大社は上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれており、下社は女神の「八坂刀売命(やさかとめのみこと)」を祀っています。『町誌』では「相違がある」としていますが、下社の「八坂刀売命」を勧請した可能性が極めて高いので、地元の伝承は正しいと言えます。
 諏訪神社の字(あざな)は「千秋」で、「ふるさとマップ」には同じ場所を「旧千秋農場」としています。「旧農場」がどういうものなのかわかりませんが、会社組織の農場が祀っていた諏訪神社を、地元では「千秋の神社」と呼んだことが以上の資料から伝わってきます。そのため、北海道各地にある諏訪神社の崇敬者は農場の経営者であり、彼らの出身地が下社に縁(ゆかり)がある土地であったことが見えてきました。
 最後になりましたが、以上の流れから、妹背牛諏訪神社ではなく「(妹背牛)千秋諏訪神社」としました。