旧中津野村鎮座なので、旧村名を冠した中津野南方神社と呼称しました。
この神社は平成3年12月にNHK BS『こころ旅』
で取り上げられたので、並立鳥居を動画として初見することができました。それから1年…。
事前に調べた『三国名勝図会』〔阿多郡 阿多〕にある、現在の名称「中津野南方神社」の記述です。
諏方上下神社 地頭館より丑寅方、二十五町 中津野村に在り。祭七月十八日、勧請年紀詳ならず。實徳三年、辛未七月廿六日、越前守藤原経久造立の棟札あり。梅岳君(※島津忠良)加世田城久しく陥らざるを以て、當社に訴願し給い、天文七年十二月廿九日、城陥るの後報賽(ほうさい)として、神舞を興行せられしとす。天文十二年、梅岳君、大中公(※島津貴久)、再興し給える棟札もあり。社司原口某。
○ 笛一 小櫻と名(づ)く。往年田布施金峯山に参籠の者、夜半拝殿に於て此笛を感得し、當社に奉納せしと云。
2016年に並立鳥居が建つ諏訪(南方)神社を巡拝したのですが、その後に存在を確認したのがこの中津野南方神社です。
12月の初旬に「九州の諏訪神社(並立鳥居)巡り再び」を決行し、自分の目で参拝を果たしました。
社頭にソテツがある光景は、長野県人には「いかにも南国の神社」を想わせます。
まず、並立鳥居のそれぞれに「諏訪大明神」を見上げてから、参道を進みました。境内にある案内板です。
境内の至る所に落ちている、イチイに似ていますがより大型の枯葉です。初めて見ましたから、…その名を記すことができません。因みに、左にある濃褐色の長枝付きのものが杉葉です(調べると、メタセコイアに酷似していました)。
鹿児島では普通に見られる「拝殿前にある随身の祠」と書いてみましたが、長野県諏訪地方では籃塔(らんとう)と呼ぶ入母屋造りの石塔と同形とあって違和感があります。
身舎に空いた丸穴の奥に随身像があるのかは、確認することを忘れました。
遠目では拝殿でしたが、その前に立てば神楽殿です。ただし、腰板があるので、そう決めつけることはできません。
(再びの)長野県人では、本殿がこの地では珍しい流造(ながれづくり)とあって懐かしさを感じてしまいました。ただし、この社殿も正しくは覆屋となり、諏訪神社(南方神社)とあって、内部に本殿が相殿または別棟の形式で安置されているのが想像できました。
12月16日のリクエストレポート(サーバーの統計)に、以下の神社がトップから並んでいました。
〔薩摩の並立鳥居〕─553
〔尾下南方神社〕──444
〔川南諏訪神社〕──95
〔湯島南方神社〕──62
〔小野南方神社〕──48
〔鹿篭麓南方神社〕─34
〔以下略〕
この数字は、私のサイト『from八ヶ岳原人』内で、題目の参拝記を一日に閲覧した人の数です。何れも鹿児島県における「諏方神社の並立鳥居」ですから、「二基並んだ鳥居」に興味を持った方が検索して閲覧したということになります。
思い起こすと、昨夜は、自室に向かう背中で「南方神社」を聞いていました。NHK BS『こころ旅』は鹿児島県を放映中ですから、その南方神社が「並立鳥居」だったことになります。
ダントツの444回から〔尾下(おくだり)南方神社〕が該当しますが、南さつま市には並立鳥居が建つ神社が三社あります。果たして、『こころ旅』がどの神社に向かったのかは不明となりました。
19日の再放送で確認すると中津野鎮座の南方神社でしたから、自サイトを訪れた多くの方が番組とは異なる並立鳥居を見たことになります。その戸惑いが想像できますが、「地元では極めて稀と流布されている並立鳥居」が意外と多くあることを(長野県人から鹿児島県人に)知らしめたことになりますから、その存在価値は大きかったと自負しました。