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南方神社 鹿児島県南九州市川辺町小野 28.12.31

鹿児島県南九州市川辺町 川辺町には複数の南方神社があるで、「小野」を付けて固有名詞としました。町内を通過した時に「諏訪運動公園」の標識を見たので、調べると「諏訪下」の字(あざな)があり、その先(上)の公園内にもう一つの南方神社がありました。


小野南方神社の並立鳥居 28.12.6

 車にライトが点(とも)り、幹線道路から外れ、最後の住宅を過ぎると田圃の中の一車線道になりました。まだ歩ける明るさが残っている中で、南方神社の境内に車を乗り入れました。しかし、ここは小高くなっているので、車のライトは「神社に不審火」とも見られそうです。明日出直そうと、思い切りよく退散しました。

 夕暮れが遅い、ということは「夜明けも遅い」ことになります。自宅での起床時の時間と明るさに馴染んでいますから、ホテルの窓から見える南九州のなかなか明けきらない空がまどろっこしく感じました。

小野南方神社の並立鳥居(南九州市川辺町小野)

 時は8時、曇り空に雨粒を感じる強風という中、今日一番の並立鳥居を撮りました。前方後円墳とも見まがう社地が面白いのですが、その造成由来は知る由もありません。

小野南方神社の並立鳥居 「並立鳥居じゃないよ」との声も、この写真を見れば黙ることになります。
 参道に駐まった軽トラを見て、この機を逃がさじと駆け寄りました。窓越しに訊くと「今年の台風16号で折れた」ということでした。

 『南方神社建之碑』とある石碑から、由来のみを転載しました。

神社の由来
 建立の由来は明らかではありませんが、棟板に元禄2年(1689)のものがあります。近年痛みがひどく約300年ぶりに築造しました。
 境内に2つの鳥居と2つのご神体、2組の狛犬があります。諏訪神社は「上下大明神」とあるように上宮と下宮の2つがセットで、この神社のように鳥居と社殿が2つあるのが正しいとされています。しかし現在は1つしかないところが多く、大変珍しいとされています。

小野南方神社の拝殿 平成15年完成とある拝殿の右にあるのが「日清戦役祈念碑」です。写真は省きましたが、左にも「日露戦役祈念碑」があります。
 それぞれの前に市指定有形文化財の狛犬が座っていますが、これについては、別項「並立狛犬」として紹介することにしました。

小野南方神社本殿 格子を透かして、上社と下社の本殿が見えます。今までに本殿と賽銭箱が赤いのを多く見てきましたから、「鹿児島では、これが南方神社」ということになります。
 諏訪神社は全国至る所にありますが、この姿を目の前にするたびに「ここは鹿児島なんだ」との想いを強くしてしまいます。

並立狛犬

 境内にある、狛犬の案内板です。「二対(つい)四対」は「二対四体」の間違いと思いますが…。

南九州市指定文化財(有形文化財)
 小野南方神社の狛犬
昭和五四年三月三一日指定 
 南方神社とは、諏訪神社の別名で、鹿児島県内で使用されている名称である。ここ小野南方神社には二つの御神体(鎌)があり、二つの鳥居、二対四対の狛犬がある。
 これらの狛犬は、江戸時代の元禄二年(1689)に、久保田大右衛門という石工によって彫刻されたもので、保存状態も良い。
 久保田は元禄年間を中心に、町内各地で石像を制作しており、徳に高田方面に多く残っている。
 九月一八日に行われていた祭礼では、小野の人々が太鼓踊りを奉納していたという。

平成十七年二月設置

南九州市教育委員会

 以下は、それぞれ一枚の写真から切り出して大きさを揃えた、327年前に生まれた狛犬です。ただし、(今となっては悔やまれますが)これを目的に撮ったものではないので、そっぽを向いていたり逆光による不鮮明な画質になっています。

小野南方神社の狛犬
右方(日清戦役祈念碑前)の狛犬

 二つの案内板は、さらりと「二対の狛犬」で書き流しています。しかし、私には「鹿児島で唯一」ということは「日本でも唯一のもの」となる、他社には見られない「並立狛犬」と映りました。

小野南方神社の狛犬
左方(日露戦役祈念碑前)の狛犬

 つまり、鹿児島に諏訪神社や南方神社が数多くあっても、「並立鳥居─並立狛犬─並立本殿」が見られるのはこの神社だけということです。
 私は小野の住民ではありませんが、鳥居の再建時には、ぜひ“三並立”を復元して欲しいと願うばかりです。
 ここで、「南方神社の氏子並びに南九州市教育委員会へのお願い」として、狛犬の「阿・吽」が逆になっているので「再建時にはぜひ正式な向きを」と書いても届くはずはありませんが…。

小野南方神社「神社配置図」 現在は創建当時の配置を見ることができませんが、多分こうだったという配置図を作ってみました。
 本文の右書きに倣ったので、右方向が正面となります。

 自宅で『鹿児島県神社庁』のサイトを参照すると、ここでは「一対」でした。

 小野の南方田圃の中の森につつまれている。諏訪大明神ともいう。小野集落の産土神である。建立の由緒は明らかではないが、棟札に元禄二年のものがある。また、宝永六年に東の門市左衛門、同女房が奉納した大坂錺屋(かざりや)兵衛製の金幣がある。御神体は鎌である。
 上古、知覧村下牧より洪水で流れてきたものを勧請したと伝えられる。島津家高麗入りの時、御立願再興されたといわれている。境内には、元禄の年号が刻まれた狛犬一対がある。
 谷山郷土持高八門があったため、その持高人が勤めてきたが、後には遠路のため小野の庄屋が勤めを委嘱された。付近を、今も諏訪免ともいっている。

小野南方神社の川 さー次の神社へ、という帰り際に本殿の裏へ回ると、「この神社も近くに川が」という私の“想い”に呼応したかのようにその風景がありました。
 写真を撮っていたので、これが「洪水で流れてきた」と重なりました。御神体を拾い上げたのがこの地で、水害に耐えるように盛り土して社地としたことが見えてきました。