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箕輪南宮神社「御鹿奉納神事と渡御祭」 24.7.15

 長野県神社庁では「箕輪南宮神社」の表記ですが、ここでは「南宮神社」としました。

南宮神社「御鹿奉納神事」 箕輪町誌編纂委員会『箕輪町誌』から、諏訪大社の「御頭郷・御頭祭・遷座祭・御射山祭」を彷彿させる記述を転載しました。


 箕輪(みのわ)南宮神社では、昔(※現在)は約一月遅れの七月十六、十七日に祭礼が行われている。十六日は宵祭りで、十七日は午前中に本祭りが終わり、午後一時に佃神事(つくだのしんじ)があり、竜西(※天竜川の西側)の大泉・大萱・富田・竜東の福与・福島など大・福・富のつく五村落から隔年に鹿頭を出す慣例となっている。これはその昔旱魃の折雨乞いをしたところ霊験あり、その御礼として郷民が鹿を献じた古事に始まり、後それが鹿頭を型どった冠り物を童にかぶらせて社前にて奉納するようになったものである。
 この神事が終わると、建御名方命だけ神輿に奉遷し、町内一巡ののち三日町箕輪南宮神社秋宮に遷座される。そして、御射山祭の祭神として奉祀されるわけである。またその年の十二月二十七日の夜中には秋宮から木下の春宮である箕輪南宮神社に遷座される。これを御神渡りといっている。
〔御射山三社の祭事〕から抜粋

 ここに出る「鹿の献上」ですが、ネットでは「鹿75頭を供えた」という記述が多く見られます。しかし、『箕輪町誌』や『南信伊那資料』では“この数”を挙げていません。(腐敗しやすい)7月半ばの時期に75頭もの鹿を集めるのは現実的ではないと思うのですが…。

御鹿(おしし)奉納神事

南宮神社「御鹿奉納神事」 南宮神社境内にあるケヤキの根方で、神事はいつ始まるのだろうと待機していました。太鼓の音に気が付いたので、その音源に向かうと境内から国道に出てしまいました。
 この写真のタイムスタンプは「11時42分」になっているので、事前の情報である「神事開始11時半」は、どこかにある控え場所を行列が出発する時間とわかりました。先導する裃姿の役員の後にホラ貝と太鼓が続き、両親に“介助”された子供が次々と鳥居をくぐりました。

南宮神社「御鹿奉納神事」 右側が、南宮神社の総代です。ネットで得た情報を当てはめると、子供達が所属する集落の代表が口上を述べる“図式”となります。御鹿は、神社がある地元の子供は奉納できない(関係ない)ので、他地区からの“越境奉納”となります。そのために、それなりの手順を踏むことが必要になるのでしょう。

南宮神社の本殿 鹿頭を被った子供の行列は境内の中央を大きく空けて、左回りに三回廻りました。かつては、本社である諏訪神社上社(現諏訪大社)の祭礼「御頭祭」に倣って本殿の周囲を回ったと思われますが、現在はそのスペースがありませんからこの方法に落ち着いたのでしょう。

御鹿奉納神事 鹿頭の造作を考えると、これだけのものを子供の頭に縛って固定するのは難しいようです。それに加えて強い風で垂れ布があおられるので、鹿頭を支えながらの行進は楽ではないように見えました。
 一つ疑問というか残念なのは、子供の姿です。お父さん方はクールビズの正装ですが、子供達は全くの普段着です。せめて白いTシャツにでも統一してくれると(見物人には)ありがたいのですが…。

渡御祭(わたりましさい ※『箕輪町誌』の表記)

南宮神社春宮 箕輪町木下

 御鹿の奉納は、諏訪大社下社の例を挙げると「お舟」に相当する“出し物”です。今日の南宮神社の神事はあくまで「遷座」がメインですから、紛らわしくないように南宮神社に「春宮」を加えて別項目としました。

南宮神社の遷座 左は、建御名方命の御神体が本殿から神輿へ遷座した直後の写真です。遷座中の写真は紹介できないので、扉が閉められ警蹕(けいひつ)が終わってから撮ったものを掲載しました。
 この後、神輿は台車に乗せたまま、境内から町内の巡幸先へ向かいました。警備の方が打ち合わせている地図を覗き込むと、複雑に折れ曲がった線の先は“枠外”へ延びていました。

南宮神社「秋宮」 箕輪町三日町

 ここからは、これから遷座する秋宮の神事となります。

南宮神社秋宮へ
右上の橋を渡って秋宮へ来る

 箕輪町内を長時間巡幸して賽銭箱が重くなったのかは別にして、神輿は天竜川を渡って三日町に入りました。
 秋宮では、すでに幟を上げて最後の準備が終わった地元の総代と役員が、今か今かと待ち受けています。
 ようやく、太鼓と拡声器で神輿が巡幸中であることを沿線の住民に知らせながら、行列はゆっくりと近づいて来ました。交通規制をしながらなので大変です。

南宮神社秋宮の遷座 待つ身には長かった4時半頃、ようやく鳥居前に神輿を曳き着けました。鳥居から拝殿内への搬入までには、高価な神輿とあって鳳凰を取り外すなどして苦労していましたが、無事に拝殿の定位置に安置できました。
 遷座は警蹕の声に包まれて行われます。“不可視”の神事なので具体的な説明はできませんが、御神体を本殿に遷したことだけはわかります。

南宮神社秋宮「玉串奉奠」 修祓や祝詞奏上・玉串奉奠・撤餞と続き、再びの警蹕が流れました。耳を澄ませていると鍵の開閉や扉の軋み音が聞こえ、この時点で本殿内に遷座したことがわかりました。一回目の警蹕は、御神体を神輿から本殿の扉の前に安置しただけとわかりました。
 長い一日であったと思われる神輿の巡幸に関わった役員は、秋宮で約一時間の滞在時間を過ごし、御神体が降りても重さが変わらない神輿をトラックに乗せて帰っていきました。

 秋宮に遷座した建御名方命の御神体は、12月27日の深夜に(こっそりと)神職の手で再び春宮に遷座されるそうです。昔は「夜は外に出るな」という取り決めがあったそうですが、現在は生活事情の変化で、目撃しても「見て見ぬ振りをする」そうです。


‖サイト内リンク‖ 「南宮神社と御符社と御射山三社の不思議な関係」