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南方神社 鹿児島県南さつま市金峰町尾下 28.12.28

鹿児島県南さつま市金峰町 “私の金峰”は長野と山梨の県境にある標高2599mの金峰山(きんぷさん)ですが、この地の「金峰」は一般的な「きんぽう」でした。また、「おした」と読んでいた「尾下」は、調べてみると「おくだり」でした。


尾下南方神社の並立鳥居 28.12.5

 車から降りると、まず夕陽を探しました。しかし、全方位にその色はありません。「まだまだ」というこの明るさがどのくらい保(も)つのかは、今日の巡拝をどこで区切りをつけるのかということに繋がります。とりあえず、目前の並立鳥居を撮ることに専念しました。

尾下南方神社の並立鳥居(南さつま市金峰町尾下)

 並立鳥居が一部が隠れ電柱が目障りになりますが、右方の茶畑を入れるために、この景観を一枚目としてカメラに収めました。

尾下南方神社「並立鳥居」 改めて鳥居の前に歩みを進めると、左の鳥居が歪(ゆが)んでいることに気が付きました。
 その差を建立年に求めましたが、どちらの柱にもそれを表す刻みはありません。立ち寄り参拝者の身では、うり二つの鳥居であっても時代差がある、とするしかありませんでした。
 境内に、南さつま市が設置した案内板がありました。

 南方神社(諏訪神社)
祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
      事代主命(ことしろぬしのみこと)
創建 年月日不詳
 2つの鳥居を持ち、北向きに建立された珍しい神社。神社はもと池辺にあったが、宝徳2年(1450)島津忠国が尾下砂田へ、さらに延徳2年(1490)には島津友久が尾下一手ヶ原へ移し、天文4年(1535)には島津忠良が現在の位置へ移したという。
 本社は長野県諏訪湖畔の諏訪大社で、祭神の建御名方命は代々島津氏が尊び拝んだ神である。
尾下南方神社「国譲り」
(剥落した「建雷命」は私が書き入れました)

 その中に描かれていたのが、「国譲り」の絵です。
 南さつま市の教育委員会に他意は無いと思いますが、諏訪神社の境内で“このシーン”は不適切と言うしかありません。
 ひざまずく三神も、「親兄弟の序列と顔の老け具合から説明文の通りだが、小文字の祭神名は、建御名方命と大国主命が逆だ」とケチを付けてしまいました。

 神と私の違いということになりますが、(文字と違い)剣の切っ先に座る建雷命を絵で見ると、かなりの違和感を感じます。支点にするのは“あそこ”しかありませんから、同じ身体をしている私はその姿を自分に置き換えてしまい、…その結果“あそこ”が敏感に反応してムズムズしてしまいます。
 これは「明け渡す対象である土地に剣を突き刺し、その上に空中浮揚して絶対的権威を示すのが本来の姿」としましたが、“お尻の穴と剣先”には何かを象徴する意味があるのかもしれません。

尾下南方神社の境内

 まだ色付き前ですが、蘖(ひこばえ)が何本も生えているイチョウの樹形が面白かったので、それを入れた拝殿の写真としました。手前の小祠一対の中には、すでに木塊と化した神像が収まっていました。

尾下南方神社「並立本殿」 賽銭投入用と思われる少しだけ開かれた戸の間から撮った、上社・下社の本殿です。すでに夕闇(やみ)が居座っだ写真になっていましたが、強制的に明るくし、その造形がわかるようにしました。並立本殿は、並立鳥居の紹介には欠かせない存在だからです。

 エンジンを掛けると、4時50分を表示しました。しかし、自宅とはかなりの“時差”があるこの明るさなら、もう一社参拝できると考えました。南九州市がどこにあるのかを知らぬまま、次の目的地「南方神社」をセットしました。

里程標と馬頭観音

 せっかく撮ったので、追記として紹介します。

金峰山道 冒頭の写真を撮った場所です。気が急(せ)きますが、石造物を前にしては、どうしても立ち止まってしまいます。
 石柱は、下部に「五十三町」が読めるので道標とわかりました。上部は「金峰山道」ですが、この地が金峰なので「やまみち」と読んだだけで終わりました。
 自宅で調べると、金峰町内には山岳宗教の金峰山があり金峰神社があることから、まさに「金峰山道」だったと頷きました。

馬頭観音? 上写真の石祠は長野県では珍しい入母屋の屋根ですが、基台に何かの動物が彫られているのに気が付きました。頭部が不鮮明ですが、当てはまるのは馬しかありません。馬頭観音を祭ったとしましたが、確定はできませんでした。
 ネットで「南さつま市 馬頭観音」で調べると、この形状の祠が幾つか見られます。馬の像を安置したものもあるので、この祠は、馬を線刻した馬頭観音としました。長野県では観音像を刻んだ舟石形のものが普通なので、所変われば…、となりました。