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小沢諏訪社・三峯社のお仮屋 伊那市小沢 24.10.26

 快適な「伊那広域農道」はまだ先に続きますが、それに別れを告げて右折しました。道の狭さは覚悟していましたが、それが急坂で、しかも左右に目を配りながらという運転ですから自然と慎重になります。しかし、鳥居も幟枠も目にしないまま川沿いの道まで降りてしまいました。
 道祖神と火の見櫓がある交差点の一画が広場になっているので、とりあえず車を駐めました。午後も遅い時間では「訊くのが手っ取り早い」と、昔ながらの屋敷林がある集落の方へ向かいました。庭に立つお年寄りを見つけて事情を話すと、すぐ近くなのでしょう、神社まで案内すると申し出てくれました。

小沢諏訪社

 この鳥居をくぐって社殿の正面に続くのが本来の参道ですが、背後の石段の下から先は藪になっていました。今二人で上ってきた右からの道には簡易鳥居があり、その脇には轍(わだち)が付いていましたから、実質には裏参道がメインということになります。今や神社の維持管理を行うには軽トラの存在は欠かせませんから、使い勝手のよい裏参道を使っているのでしょう。

小沢諏訪社

 旧「中小沢村」の村社「諏訪社」です。ここは伊那市ですが、諏訪神社なので御柱が建っていました。
 この写真ではわかりませんが、右下方約200mには小沢川が流れています。現在の大字(おおあざ)「小沢」はその両側に沿って長く延びた集落ですから、川の名が由来とわかります。

小沢諏訪社 案に置かれたやや黒茶けた玉串の色が、今月初めに秋の例祭があったことを窺わせます。「左の社殿は」と尋ねると、秋葉社と返ってきました。
 この時は気が付かなかったのですが、自宅で写真を見ると本殿の奥には小さな祠が並んでいました。何れも傷みのない木祠ですから、当初から野天ではなく、この覆屋の中に収容されたことが想像できました。

三峯社のお仮屋

 実は、この諏訪社を参拝したのは、たまたま「ネットで見た一枚の写真」がきっかけでした。「境内社」と書かれた祠は三峯社そのもので、しかも、それが諏訪神社とセットものという格好の条件です。もう自分の目で見るしかないと出掛けたのが今日でした。

三峯社 ここに来る道中で三峯社についての応答を重ねていたので、「三峯社の造りが珍しいことを知っているので、秋の例祭時には必ず葺き替えをしている。時々見学に来る人がいる。昔は講の代参で三峯神社まで御札を貰いに行ったが、現在は絶えている」ことがわかっていました。諏訪社の拝礼を済ませてから、遠目でも確認できていた三峯社に近づきました。

小沢諏訪社の「三峯社」 「写真を撮るなら」と前面の覆いを上げてくれました。話に「できるだけ暗くする」とあったように密に囲ってあります。すっかり古くなってしまった御札には「」だけが確認できました。
 ここは杉葉ですから、塩尻市の熊井諏訪社境内にある三峯社と同じことになります。諏訪地方ではカヤで葺きますから、本社の三峯神社から遠いということの他に何かの理由があるのかもしれません。

 この上ないガイドに巡り会えましたから、別れ際には篤く礼を言って深く頭を下げました。杖突峠経由で帰ると聞いて、「川を渡って右に曲がれば、そのまま一本道で行ける」と教えてくれました。車に乗り込んで下方に目を転じると、開けた谷の先に夕日に輝いた伊那の町並み望めました。小沢川に沿った道は車のすれ違いに気を遣いましたが、確かに、市内で短い右左折がありましたが、天竜川を渡り高遠まで一直線に通じていました。

 小沢川沿いの道は古くからの街道ではないかと思えたので、地図を確認してみました。その上流は、途中から破線に替わりますが木曽へ通じる権兵衛峠へ続いていました。かつては、物資を運ぶ人馬で賑わっていたのかもしれません。
 小笠原秀雄作詞の「伊那節(いなぶし)」には、以下のように歌われています。何れも、後に「ア ソリャコイ アバヨ」が付きます。

 木曽へ木曽へと つけ出す米は 伊那や高遠の 伊那や高遠の なみだ(涙)
 なみだ米とは そりゃ情けない 伊那や高遠の 伊那や高遠の あまり(余)