諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪神社メニュー /

札幌諏訪神社 札幌市 21.7.9

札幌諏訪神社map

 北海道には諏訪神社が9社あるので、札幌市の諏訪神社は「札幌諏訪神社」としました。
 北海道第一の都市である札幌市に鎮座する諏訪神社とあって、ネットでも様々な情報が手に入りました。ところが、これも時代でしょうか。そのほとんどに「子授け・安産」が含まれています。そのため、“北海道の諏訪神社”を巡拝する中で、その御利益が突出した“札幌の諏訪神社”に違和感を感じ始めました。諏訪神社は“そんな”神社ではないと思いつつも、すでにラベルを貼られている現状を「所変われば」と受け入れるしかありません。

札幌諏訪神社参拝

 北海道の諏訪神社8社を全て巡拝し、残るは札幌のみとなりました。帰りもフェリーと決めていたので、乗船する小樽へのコースに札幌諏訪神社を組み入れました。札幌市のど真ん中とあって、駐車場が無いことが予想されます。迷った末に、路上駐車を考慮して早朝の札幌に乗り込むことにしました。
 カーナビに任せっきりだったので国道5号という意識はありませんでしたが、その幹線道路に沿った場所に諏訪神社がありました。この時間帯では神社前に横付けでもよかったのですが、早朝とあってどこの駐車場も“無車”です。目に付いた医院の駐車場を無断で拝借しました。

札幌諏訪神社とラベンダー
 どうしても、傾いているように見えるのですが?

 まだ5時前です。神社前だけ片側4車線という国道を我が物顔に横切って、分離帯のラベンダーを前景に札幌諏訪神社を撮りました。左上が“札幌の朝日”なので、まだ寝ぼけているような“紫”ですが「これぞ北海道の諏訪神社」でしょうか。
 木々の中に隠れるようにして「建社記念」碑が建っていました。灯籠に「摂政宮(※皇太子・後の昭和天皇)殿下行啓記念・大正十一年」、狛犬には「凱旋(※日清戦争)記念・明治二十九年」とあります。明治・大正という近代の歴史を読んで、「やはり北海道の神社なんだなー」との思いを強くしました。

札幌諏訪神社「拝殿」 月極駐車場とは思えませんから、夜間だけの無断駐車でしょうか。私も同類なので非難はできませんが、それでも境内の雰囲気を壊している車が気になります。
 札幌市内とあって参拝者が多いのでしょう。拝殿の柱には、常設と思われる「明神梶」の定紋幕が掛かっています。早朝の拝礼を済ませて振り向くと、壇上とあって境内がよく見通せました。
 「バラック」という言葉が、久しぶりに語彙集のトップに躍り出ました。バラックは「駐屯兵(北海道では屯田兵)のための細長い宿舎」という意味がありますから、それに似た異常に長い建物が神社の境内にあるのが不思議です。その一画に社務所がありますが、屋根のトタンは一部錆びてビニールシートで覆ってあります。拝殿前にある「由緒」から、「昭和9年新築の社務所」が「今の社務所」ということでしょうか。
 事前の調べでは「縁結・子授・安産の神様で人気があり、遠くからの参拝者もある」神社でした。しかし、傷んだ屋根の社務所だけを見ると、その片鱗も窺うことができません。今の時代では、札幌市には「諏訪神社の崇敬者」はいないのでしょうか。氏子総代会などの組織があればこんなことにはならないと思いますが、何かの事情があるのかもしれません。
 「ようこそお詣り下さいました」とある由緒書から、神社の沿革だけを抜き出しました。

 当神社は、信州の人上島正氏他三十余名が、明治十一年この地に移住して開墾の業を始め、移住者の総意により生国信濃国の宗社・官幣大社諏訪神社(現諏訪大社)の御分霊を勧請して、明治十五年三月十二日に上島氏邸内に小祠を建立し、永久治国安寧を祈り奉斉したことに創まります。
 東皐(とうこう)園主であった上島氏より社地寄進を得て、明治三十年創立出願。昭和九年この地が札幌村より札幌市に編入されるに当たり、村の基本財産を以て御社殿を改築し、社務所を新築。同年四月村社に列格して神饌幣帛料供進社の指定を受け、昭和二十年郷社へ昇格申請が出願されました。
昭和三十七年護鎮座八十年祭、昭和五十七年御鎮座百年祭、平成四年御鎮座百十年祭斉行。
 明治十五年の御鎮座以来、百有余年の歳月を経て札幌市の、鉄北の鎮守として氏子崇敬者に仰がれております。
例祭 毎年九月十二日。

ここで「上島正と鉄北」を挙げていますが、後述とします。

札幌諏訪神社「本殿」 拝殿と一体化した本殿を後方から見ると、二階建てであることがわかります。一階部分を“地下化”すれば普通の神社になりますから、「なぜこんな造りを…」と不思議でした。
 写真に写っているのは放置自転車でしょうか。その場所には境内社ではなく小屋があり、そこを現住所とする犬がいました。“神犬”ならともかく、神聖な場所に犬小屋があることに驚きました。一階部分は地面の下と考えて(見なかったことにして)社殿を見上げたら、飾り金具が朝日に輝いているのが印象的でした。

札幌諏訪神社の社務所 「神社の左横が小路」ということは、この灰白色の家屋が社務所に使われている建物ということになります。何とも懐かしい、子供の頃によく見かけた光景についカメラを向けてしまいました。屋根を見上げると、何と『北の国から』で見たことがある「石煙突」です。改修はあっても、「昭和9年当時のまま」という可能性が高くなりました。
 札幌市の中心地に、今でもこの景観が残っているということは奇跡に近いとも言えます。ここでは「なぜ」と詮索するより、「札幌駅から直線距離で1キロ未満の所に、昭和初期の古き良き札幌が残っている」としました。

札幌諏訪神社について

 帰宅後、ネットで各種情報を集めてみました。

札幌諏訪神社は耐水害建築(か)

 札幌諏訪神社をまとめる中で、ネットの情報に「神社前の創成川はかつて大友堀と呼ばれ、開拓時代に創られた運河」がありました。今思い起こすと、「ラベンダー諏訪神社」の写真を撮ったときに見た、用水路とも見まがう小さな流れが該当します。それが運河の名残とは知りませんでしたが、ここでピンと来ました。神社の“高層化”は「万が一に備えての洪水対策」(だろう)と。しかし、境内が水に浸かる「万が一」を想定すると、札幌市の中心部はすべて水上都市になってしまいます。

札幌諏訪神社 試しに「札幌市 水害」で検索したら、『札幌市洪水ハザードマップ』が表示しました。他人の土地をあれこれ心配しても始まりませんが、他ならぬ「諏訪神社」です。黄色に塗られた部分を参照すると、「石狩川・豊平川などが決壊氾濫すると最大50cmの浸水が予想される」地域でした。札幌諏訪神社は、すでに昭和9年という時代にそれを想定して設計施工したのは間違いないでしょう。

鉄北と上島正氏

 ネットとは便利なもので、自宅に居ながらにして北海道の情報が得られます。それによると、由緒にある「鉄北」は、想像通り「JR函館本線(線路)の北側」でした。また、「信州の人・上島正氏」が長野県諏訪市の出身であることを知りました。「湖南(こなみ※諏訪湖の南部)」のどの辺りで生まれ育ち、どのような縁で北海道まで渡ったのでしょうか。壮大な人生の軌跡を想像してしまいました。


‖サイト内リンク‖ 「北海道の諏訪神社」