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南方神社の並立鳥居 いちき串木野市上名 生福 28.12.21

 上名町の生福(せいふく)に鎮座するので、標題の神社名にしました。

生福南方神社 28.12.5

鹿児島県いちき串木野市 カーナビの登録地一覧に「南方神社」がありません。否定しても、結果として登録していなかったことになります。このような旅の空の下になると、その地にかなり接近している場合を除き、人に尋ね廻っても途方に暮れることになります。しかし、今回は、過去の経験から必需品として用意したスマホがあります。

 大ざっぱな行き先としてメモしてあった「いちき串木野市」と、記憶にあった「生福」を『Google』に打ち込んで〔地図〕をタップすると、色分けされた生福地区が表示しました。未だ慣れない二本指で拡大すると、南方神社が現れました。その場所をカーナビに教えると、ようやく出発となりました。

生福 南方神社の「並立鳥居」

 道沿いに駐車場(駐車スペース)があり、案内板がありました。『生福 南方神社(俗称 お諏訪さあ)由緒』とある中から、一部を転載しました。

(由緒は)不詳であるが、向かって右の鳥居に「奉建立宝暦六丙子卯月吉祥」と刻されている。

 ※宝暦六年は一七五六年(江戸時代の中期で薩摩藩が木曽川の堤防工事に着工した頃)

初めは諏訪神社と呼ばれていたが、主に鹿児島県内で「御名方(みなかた)」の名称に因んで、「南方」に変更されたとも言われています。

 最後に、小文字で「現在、二十五名の氏子が毎月の清掃及び毎年の例祭を行い、御守りしています」とまとめています。設置者名がありませんが、これで生福地区が立てた案内板とわかりました。因みに、サイト『鹿児島県神社庁』でも、この神社の詳細は「不詳」でした。

生福 南方神社「拝殿」 品種がわかりませんからミカンとしか言えませんが、その黄色い実を付けた木々を左右に見ながら坂道を上がると、短い石段の上に白い建物が現れました。注連縄が掛かり、灯籠もありますから、それが拝殿となりました。
 ところが、窓から覗いてもそれらしく見えません。裏に廻ると、さらに出現した石段の先に本殿がありました。

生福南方神社の本殿 ステンレスの扉には違和感がありますが、当地の石祠は扉に装飾のない薄板を用いたものがあるので、材質が変わっただけと考えると「これもありか」となりました。
 当然ながら金属板の向こうを透視することはできませんが、祠の大きさから、「上社・下社」二本の幣帛を納めてあるのは間違いありません。
 サツマイモが供えてあります。「薩摩の神社だから」ということではないのでしょうが、他国から遙々来た私はそう連想してしまいました。

 帰りに、隣家の婦人から先に挨拶されてしまいました。観光地は別ですが、見知らぬ土地を歩く時は、必然的に「不審者に見られたくない」という思いが強くなります。私は先に(機先を制して)挨拶することにしているので、とっさに「鳥居を見に来ました」と言い訳のように返してしまいました。その時に教えてもらったのが、冒頭に書いた「生福」の読み方です。

田の神さあ(田の神さん)

 この神社の並立鳥居は、「田の神さあ」を紹介しているブログで見つけました。“従”としている鳥居でしたが、私には主役として映りました。

生福南方神社「並立鳥居」
田の神さあ

 案内板に「田の神さあは解読不能で資料による」として、文久二年(1862)の製作としています。
 鹿児島では普通に見られる「田の神さあ」ですが、“用途”は違っても、長野県の「道祖神」に相当する存在です。本来は田圃の脇にあるものですが、このように、社頭や境内に移転したものも見られます。

宝暦治水事件

 案内板には、「※宝暦六年は…薩摩藩が木曽川の堤防工事に着工した頃」と書いています。現地では、「この並立鳥居は、その安全を祈願して建立されたもの」というより、その時代をわかりやすくするトピックとして並記したものと理解していました。
 自宅に戻ってからこの一文を再読すると、NHK『その時歴史が動いた』で視聴していた「薩摩藩の堤防工事」に重なりました。完全に忘却の彼方に消え去っていたので調べてみると、これが「宝暦治水事件」でした。
 現在も地方の小さな神社の案内板に書かれるほど、薩摩の人にとっては忘れることができない出来事だったことになります。しかし、余りにも重く悲しい事件なので、これ以上書き加える気にはなりません。

川上諏訪神社の並立鳥居

 前出“挨拶”の後日談です。後から出てきた主人に「この近くに、鳥居が二本建っている神社はないか」と尋ねました。幾つかの名前を挙げましたが、自信が無さそうな応答だったので、その話は自然消滅となりました。
 自宅でネットを使って調べてみると、生福の南で「川上」地区にある諏訪神社が並立鳥居でした…。「また薩摩へおいで」ということでしょうか。