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南方神社 鹿児島県薩摩川内市湯島町 28.12.11

諏方磧

 『三国名勝図会 巻之十三』があります。〔薩摩国高城郡〕から「平島 諏方磧」を、国立国会図書館『近代デジタルライブラリー』から転載しました。

南方神社の「並立鳥居」
諏方社の「並立鳥居」(2ページに別れた絵図を合成)
◯ 諏方磧(すわかわら)
 磧の根に諏方神祠あり、因て名を得たり、此磧甚(はなはだ)長くして、石巌江中に突出すること長さ四十間許(ばかり)、廣さ八間許、磧上平坦にして、水上に出ること常に八尺許、江水其磧を廻流す、此處より眺望すれば、江流渺然(びょうぜん)として、水勢緩く流れ、宛然(えんぜん)として湖水の如く、風景甚佳なり、春日夏夜小舟に棹し、遊觀する者多し、叉此邊(辺)江中に蜆(しじみ)を産す、其蜆悉(ことごと)く細蟹を寓す、他所になき奇産なり、

諏方社から南方神社

 江戸時代の『三国名勝図会』では「諏方社」ですが、明治期に「南方神社」と改称したことは知識にありました。鹿児島県神社庁のサイトを覘くと、神社名は「南方神社」で「ミナカタジンジャ」とフリガナがあります。祭神は「建南方命」で、「タケミナカタノミコト」でした。
 同サイトに載る南方神社には「ミナカタ」と「ミナミカタ」の二つの表記があって統一性がありませんが、地元で用いられる名称を尊重したということでしょう。

南方神社の並立鳥居 28.12.5

鹿児島県薩摩川内市湯島町 以前、“その時”に備えて、鹿児島県の諏訪神社で並立鳥居があるものをカーナビに「登録」しました。それから2年近く経った今日、九州に上陸したものの未だ高速道路の上ですが、ようやくその時を迎え、「目的地」としてセットできました。

詳細は、鹿児島県「薩摩の並立鳥居」を御覧ください。

 ガイドの指示に忠実に従い、鹿児島県の西部に位置するとしかわからない薩摩川内(さつませんだい)市へ向かいます。「目的地周辺です」の声で前方を注視すると、堤防の向こうに赤い鳥居が二基見えました。

南方神社の並立鳥居(薩摩川内市湯島町)

 必ずしも駐車場完備とは限らないので、たまたま目に付いた駐車帯から歩くことにしました。左方の出っ張りが、『三国名勝図会』にある「諏方磧」でしょう。

南方神社の並立鳥居

 係留された小舟や川面から突き出た岩礁に群がる水鳥を眺めながら近づき、九州まで遙々(はるばる)来たのはこれが目的という並立鳥居を仰ぎました。
 境内には「南洋のもの」としか書けない長く幅広の葉を持つ木があり、如何にも南国の諏訪神社という雰囲気を醸し出しています。しかし、鹿児島県では明治初期に多くの諏訪神社が「南方神社」と改称させられており、ここも南方神社ですから、諏訪人としては残念な対面となりました。

南方神社の拝殿
社額は「南方神社」

 拝殿の床が一様に濡れています。一見は、川霧の成せる“技”としました。しかし、三方が開放された造りにも関わらず塵や埃がありません。ぞうきん掛けをした可能性を考え、靴を脱いで、奥まった場所にある扉の前に進みました。

南方神社本殿 格子から窺った、鳥居と同じ色に塗られた本殿は予想外の一棟でした。通常は上社と下社の本殿を左右に分け、これが鳥居が並列に並んでいる由来となっています。しかし、本殿は相殿になっていますから、これはこれで正しい祀り方ということになります。
 帰り際に対岸を眺めると、何かの工事をやっています。その上の堤防上を車が走っているのを見て、その対岸からこの並立した赤い鳥居の写真を撮ることにしました。

薩摩川内市湯島町「南方神社の並立鳥居」

 渺然・宛然・甚佳と美辞麗句が並ぶ諏方磧ですが、「中央の大石小石がそれでしょうか」と言う規模です。今では「名勝諏方磧」を偲ぶよすがもないと書いてみましたが、絵図は大きく誇張して描くのが“常識”なので…。
南方神社本殿 国土交通省『国土画像情報』から、昭和22年11月撮影の航空写真をお借りしました。当時の機材なので鮮明ではありませんが、諏方磧がよく写っています。
 冒頭の『三国名勝図会』では、現代の辞書は【磧】を「河原・川原」としているので、(かわら)とふりがなを入れました。しかし、薩摩では川中に突き出た大岩の繋がりを意味しているのかもしれません。

川内原子力発電所

 実は、市内で「原発」の文字を幾度も目にしていました。それが、テレビニュースなどで記憶にあった原発特有の建屋を見たことで、今再稼働で問題になっている九州電力「川内原子力発電所」であることに気が付きました。また、南方神社から4Kmしか離れていなかったことは意外でした。