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今も残る御射山社の穂屋 下伊那郡下條村北又 24.10.26

下伊那郡下條村 吉岡城址に寄ってみました。巨大な黒御影石に彫られた「吉岡城城郭概観図」があります。古城巡りを趣味とする方なら「主郭は、曲輪は…」と見るのですが、私は「御射山神社」を見つけてしまいました。しかし、城とその囲いが“主題”なので、神社への道は描かれていません。「吉岡城の右上」とだけ記憶して、大山田神社へ向かいました。

 下條村誌編集委員会『下條村誌』から〔御射山神社(北又)〕を転載しました。

 創立年月は不詳、明治五年十一月村社に列す。文明七年(一四七五)下条氏七代源康氏が、古城(大沢)より吉岡城へ城替の際に、粟野千貫松に鎮座していた御射山社を、鬼門除として移し、新鎮座を北俣とし町を原に移した。
(中略)
 北俣は「北又」とも書き、もと下条氏一族下条右衛門の居住の地であった。この神社もおそらくは下条氏が、この地に居館を営むに当り地主神として明神を奉斉したものであろう。
(中略)
 下条家八代の城主伊豆之守源時氏の次男右門家氏北俣へ分居するにあたり、守護神として祀ったものと伝えられている。昭和二年五月に白山社を合併した。

 約1頁に渡る〔御射山神社〕ですが、その勧請について「三通り」の書き方をしていることに気が付きました。しかし、「本」になってすでに35年も経過しているので、(原稿が・校正が…と)突っ込まずに「三説がある」と容認することにしました。

 『村誌』で大きく取り上げているので、「下條村の御射山神社」を参拝することにしました。中央自動車道の「諏訪南IC」から「飯田山本IC」までは95.8kmなので、読む人の財布にはまったく関係ありませんが、通勤割引(100km未満は半額)が限度一杯に使えます。さらに無料の「三遠南信自動車道」が国道151号に接続しているので、下條村はグッと身近な存在になっています。

御射山神社

 社号標に「御射山社」とあり、長野県神社庁でも御射山社と表記しているので、以降はそれに倣うことにしました。

下條村の御射山社 「昔は木が生い茂っており暗かった。栗の木がたくさんあったのでよく拾いに行った」とは、隣家の畑にいたおばあさんの談です。「今は伐採されて公園になっているので、近くにある保育園からそろって遊びに来る」という境内入口の鳥居を撮ってみました。因みに、私の背後は畑や人家がある斜面で凹地の底に続いています。

御射山神社本殿

下條村の御射山社 『村誌』には「本社の鞘堂の棟にはこの梶の葉の神紋が、あざやかに打ちつけられており…」とあるように、覆屋の大棟と本殿の鬼板は5本根の「明神梶」を飾っています。
 左は、「社殿は鞘堂の中にあり、側面一間正面三間の流造の大きい社殿である。軒裏には二重繁垂木(しげたるき)の脇障子付勾欄(こうらん)をめぐらしている」とある本殿です。ブロック塀で囲まれているので、下から仰ぐ写真となりました。
 本殿は三室相殿になっていますから、拝殿に並んだ社額から「白山社」を合祀してあることがわかります。しかし、案内板がないので、残りの一社は不明のままでした。

「金的中」奉納額

 拝殿の外壁に、「献的十二中」や「金的中」の奉納額が何枚か掛かっています。何れも明治の元号が読めるので、その頃までは奉納弓射が盛んに行われていたことが想像できました。

 下条氏はこの御射山祭を武道を尚(たっと)び訓練の場としていたものと思われる。使用(私用?)の三十間有余の弓道場があったといわれ、又別に「馬走り場」という地名も残っている。
『下條村誌』

仮屋・穂屋

 本殿の左方に建つ“仮屋”の存在に気が付きました。

 社殿の近くには穂屋をそのまま残してあり、まことに珍らしいものである。昔は各地の御射山神社でこの穂屋を作ってお祭りをしたものであるが、それが、だんだんに忘れられ簡略化され、無作な儀式になったのはまことに惜しい限りである。北又の御射山神社にこの古式の遺風が伝承されていたことは実に貴いことである。
『下條村誌』

下條村「御射山社本殿」 これを熟読してあれば悩まずに済みましたが、参拝時には「この仮屋は三峯社」とショートしていました。そのお墨付きを貰うために神社の周辺を一回りして見つけたのが、前出のおばあさんです。彼女も知らなかったのですが、境内の東屋を補修していた大工さんの一言「穂屋」ですべてが繋がりました。不覚でした。御射山社として来たので、その場で「これは穂屋」と断定しなくてはならなかったのですが…。

諏訪社と穂屋 左の小社殿に、本殿とは異なる神紋「諏訪梶」を見たので、御射山社の境内社「諏訪社」と考えました。現在の諏訪大社上社の御射山社と同じ発想です。
 穂屋を確認したことで、長野県南でも「最」に近い下條村に御射山社の古態がよく残っていると感心しながら、対になる諏訪神社へ向かいました。