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下津浦諏訪神社 熊本県天草市有明町下津浦 21.12.4

熊本県天草市 名称は諏訪神社ですが、通称として、字(あざな)を付けた下津浦諏訪神社と表記しました。

 前日は晴れていましたが風が強く、日本でもこんなパイプラインが(とは少し大げさですが)見られるのかというサーファーで賑わう海岸を窓越しに見たり、給油で万札を渡すにも慎重となるほどの一日でした。
 何も考えずにフェリー乗り場へ向かいましたが、途中で「欠航と船酔い」が思い当たりました。翌朝の天気もわからないので、遠回りですが、夜の内に熊本の「三角(みすみ)」まで移動し、陸伝いで天草五島を渡る「天草パールライン」で行くことにしました。

下津浦諏訪神社

 次々に現れる名所旧跡を併記した道路標識をやり過ごしてきた国道から、カーナビの指示で内陸部に向かいます。右は民家・左は特定郵便局という道の奥に鳥居が見えました。この道を参道と確認したので、民家脇一杯に寄せて無断駐車場としました。「天草まで来て諏訪神社だけ」は、完全に“物好き”のカテゴリーに入るでしょう。「これでいいのか」「これでいーのだ」と自問自答しながら、山裾に向かいました。

下津浦諏訪神社 坂道の途中にある鳥居額は「諏訪宮」でした。転び(柱の傾き)がないその鳥居をくぐり石段を上がりきると、玉垣で隠れていた境内が左右に大きく広がりました。山懐という境内なので、手前山手にあるトイレは別として、“人臭い”ものがまったくありません。

下津浦諏訪神社

 案内板がなかったので、サイト『下津浦地区振興会』の〔諏訪神社〕を転載しました。

http://hp.amakusa-web.jp/a0809/MyHp/Pub/Free.aspx?CNo=10
 創立年月日不詳なれども、社伝によれば鎌倉時代佐々木四郎衛門源高綱、諸国を巡廻中、信濃の国諏訪宮の御分霊を戴き来りて発祀勧請したと伝える。寛文2年(1662)8月16日、佐々木吉兵衛尉行光が奉仕の時、村社として神幸祭を創始すると神社記にある。その後代々佐々木氏が神事を行っていた。

下津浦諏訪神社「本殿」 境内はよく手入れがされており雑草が生えていません。たまたま今日というタイミングなのかもしれませんが、素直に、今でも大切にされていると受け止めました。
 本殿は新しいようですが、すでに古色が乗っていて周囲に馴染んでいます。神紋は「五七の桐」で、本殿の鬼板にも「桐」が見えました。

下津浦諏訪神社「ソテツ」 「天草らしさ」といっても、九州では一般的なソテツがあります。逆光ですが、あえて朝日で光った葉を前景に入れた社殿を撮ってみました。「白化」して、計算した傑作にはほど遠い写真になりましたが、南国の諏訪神社として載せました。
 境内隅に、諏訪神社の例祭に奉納するという『下津浦太鼓』の記念碑がありますが、もちろんどんな郷土芸能なのかわかりません。

下津浦諏訪神社「ソテツ」 神社から見下ろした先には田が広がっています。その彼方には、左右から回り込んだ尾根で閉じようとする場所があります。この諏訪神社がある里の入口で、土地の人は“迷い込んできた”と見たであろう私が引き返す出口です。
 「津・浦」ですからその向こうに良港があり、そちらから眺めた山懐の地に下津浦の要として諏訪神社を勧請したと考えてみました。