小瀬スポーツ公園内にある武道館の駐車場からは、(地図では)道向こうです。オールコンクリートですが五割川という水路に沿う小道に入ると、「鈴宮大明神・諏訪大明神」と並記した鳥居額が見えました。
右手に、生け垣に囲われた何かがあります。のぞくと、内部は舗装してあることがわかっただけで、案内板もないので「何でしょう」で終わりました
『甲斐国志』に出る「船石」を見てから、拝殿へ向かいます。ところが、注連縄と賽銭箱と鈴緒があれば正に鈴宮諏訪神社の拝殿ですが、正面は蛇腹のシャッターです。それに向かって拝礼をするのは、何ともおかしな気分でした。
拝殿の左方へ廻ると、赤く塗られた本殿が現れました。初めは変わった向拝柱と見たのですが、背後にも同様な柱があるので、耐震補強用に設置されたアングルとわかりました。
ここまで読んで、鈴宮諏訪神社に多少なりとも知識がある方は気が付いたと思います。実は、単なる諏訪神社として参拝したので、「天津司舞」についてはまったくの白紙でした。
改めて調べると、前記の「生け垣に囲われた何か」は、ここで行われる天津司舞の舞台「御船囲」でした。また、その天津司舞は、国重要無形民俗文化財の第一号に指定された貴重な民俗芸能でした。
冒頭の『甲斐国志』にある「諏訪神社」の抜粋です。
要約すると「小瀬村にあった諏訪神社を鈴宮に合祀した」ですから、それ以降に「鈴宮諏訪神社」となったことがわかります。
拝礼時に、シャッターの手前に置かれた大きな空コンテナに気が付きました。これが「始まり」で、拝殿らしからぬ建物の周囲には、コンテナの中になぜかスリッパ一足・一升瓶のケース・使い放しの水道ホース・流しの中には雨水で藻が生えた箱が放置され、お菓子の袋などが散乱しています。壁際には、何と、応接セットに使うような大座布団に普通の座布団が重ねたまま(廃棄されて)置かれています。
拝殿の右半分には扉があり、看板が二枚掛かっています。消えかかった字を推測して判読すると「下鍛冶屋町公民館」と「老人憩いの家」で、拝殿兼公民館とわかりました。本来は地区の中核となる施設ですが、周囲の状況から見ると現在は使われていないようです。
下鍛冶屋町の境界を調べたときに、その中枢部が小瀬スポーツ公園で占められていることに気が付いていました。公園建設の立ち退きで、町民・氏子が激減したのでしょう。公民館はあっても使われず、もしかしたら、住所の境界はあっても「下鍛冶屋町の自治区」そのものが存在していないのかも知れません。
〔天津司舞について〕 鈴宮神社と天津司神社の例祭「天津司舞」は、以下のリンクで紹介しています。