「北海道 諏訪神社」で検索すると、「山越内関所跡を訪ねたら山越諏訪神社があった」という(私には)消極的な情報がありました。しかし、「駅・関所跡・跨線橋」など具体的な「目印」があり、しかも神社の写真まで載っているので大いに参考になりました。
北海道の一桁国道「5号」です。“昼間でも高速道路”なので、流入出には注意が必要です。鳥居が見えましたが、この速度では駐車する場所を見極めるのは困難です。確実な場所で確実に方向転換をして戻りました。駐車場は隣の山越内関所跡しかありませんでした。
国道を間に挟んで、山越諏訪神社の正面を撮りました。(自宅に戻ってから調べて知った)「ブタナ」が空地を我が物顔で占有しています。フランス原産の帰化植物・俗名「ブタのサラダ」と説明にありますが、“外花”でも、私には北海道の季節花に映りました。
参道の舗装が途切れるところに門扉のようなものが見えるでしょうか。その向こうは「JR函館本線」が横切っているので「立入禁止」になっており、左に見え隠れしている跨線橋を上り下りして諏訪神社に行くことになります。
事前の情報通りに跨線橋を渡りましたが、海辺とあって鉄板の一部が腐食しており下が透けて見えました。
山越諏訪神社の拝殿を目の前にして、北海道の神社は、諏訪神社に限らず鳥居と本殿の覆屋が「神明造」と気が付きました。拝殿も、屋根が切妻と入母屋の違いがあっても写真のような造りが一般的です。
隣の山越内関所跡の案内板に、江戸後期という関所の絵図がありました。その一部に「諏訪大明神」が見られますが、千木も堅魚木もない「入母屋造」に向拝を付けた形で描いてあります。鳥居も明神鳥居になっています。
そのため、北海道における神社の歴史が浅いため、明治政府(北海道開拓使)が「伊勢神宮が日本第一社」を行き届かせるために、現在のような規格を強要したことが考えられます。言い方を替えると、北海道の人達には見馴れた社殿と鳥居ですが、道外から参拝する右の絵図を日常とする人には奇異に映るということになります。
拝殿側面の蔀戸(しとみど)がやや浮いていたので上げてみました。本殿の拝観を期待したのですが、雨戸を開けたようなものでアルミサッシの窓がしっかり現れました。それでも、ガラス越しに、紫の定紋幕に染め抜かれた神紋「立ち梶の葉」だけは確認できました。
拝殿左手前のイチイの枝に、一塊を目で数えてそれが幾つあるかという大ざっぱなカウントですが、60本以上の御神籤が結わえ付けられています。その過密ぶりと一様にくすんだ色に、年一回の例祭時の賑わいが想像できました。もちろん、今は人っ子一人いませんから、「御神籤や、…夢の跡」でしょうか。
帰りは「海に向かって」と書きたいところですが、現実はJRのフェンスに向かって戻ることになります。正面から受ける冷たい浜風が北海道を実感させました。
山越諏訪神社がある八雲町郷土資料館には、国の重要文化財「コタン遺跡出土品」があるのですが、諏訪神社に気を取られて見学するのを忘れてしまいました。
八雲町『デジタル八雲町史』で、八雲町史編纂委員会『改訂八雲町史』が閲覧できました。〔第13編 宗教〕から[諏訪神社]を転載しました。
この諏訪神社には“本尊”の円空仏があるそうです。円空さんが「私の思いとは違う」と嘆くような秘仏扱いで、研究者にも見せないと聞きました。現在は、どうなのでしょうか。
これについては、[諏訪神社]の続きにありました。