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表門神社(八乙女宮)と成島八幡神社 21.10.10

上今諏訪神社の渡御

 山梨県南アルプス市は白根町に、上今諏訪諏訪神社(以降は今諏訪神社)があります。境内にある「由緒」の一部です。

(前略) これを「御射山祭」といって、近隣の村々の者はみな来拝したもので、またその当日は、東八代の白井河原の八乙女宮まで神輿が渡御し、途中の成島の八幡神社の境内に休憩する場所が決まっていたと云い、翌日廿二日には十三所社・春宮・秋宮・中島社まで神幸が行われたが、その時の神輿の通路は「諏方ノ原」と呼ばれ、神輿が還幸すると相撲場で盛大の奉納相撲が行われたものである。 (※原文ママ)

八乙女

 山梨の諏訪神社にも御射山祭があり、神輿の渡御が行われたことに興味を引かれました。「諏訪大社上社でも御射山祭で渡御した神輿が神戸八幡神社で休憩する」類似点に、渡御先が「八乙女宮」とくればなおさらです。「八乙女(やおとめ)」とは8人の巫女のことで、諏訪神社(現諏訪大社)でも、明治初年までは世襲の八乙女がいたことが知られています。

八乙女宮

 「神社」ではなく「宮」なので、徐々に人格化してきた「八乙女」さんに会いたいと、まずはその位置と資料を集めることにしました。隣県とあっては「八代郡ってどこだ」ですから、ネットが頼りです。しかし、平成の大合併で自治体の名前が変わったこともあり、「東八代・白井河原・成島」のキーワードだけではなかなかヒットしません。ようやく見つけましたが、その特定に至るまでの経緯だけでも「一文」に値します。しかし、今回は省略しました。

八乙女宮は表門神社 山梨県甲府市白井町

八乙女宮(八乙女神社)・表門神社
表門神社
 祭神は木葉開耶姫・建御名方命を祀る、本社は一に八乙女権現と言ふ、天文十一年創立、氏子約百三十戸、本社の主社はもと上下諏訪両社にて、これ何れの時には八乙女神社社中に遷し祀りしものなるべし、今も古諏訪といふ処あり、昔は毎年七月二十一日西郡今諏訪村へ御幸あり、一宿して翌日還幸す、往返とも中郡の成島村八幡宮林中に休憩すといふ、
入口社号標から転載

 周囲は田畑で人家が散在という景観の中で現れた、参道入口の大きな社号標は「表門(うわと)神社」でした。下調べの段階でわかっていたので慌てずに済みましたが、鳥居額に「八乙女宮」を見てなお安心しました。しかし、境内の全てに薹(とう)が立った現実の姿に落胆しました。氏子総代会などの組織は休眠中なのか、舗装された参道以外は草ボーボーの荒れた境内です。しかし、社号標と鳥居・灯籠・狛犬が新しいので、まったく見捨てられたわけではないようです。「よそ者立ち寄り参拝者」の立場なので、たまたま草刈り整備直前のタイミングだったとしました。

八乙女宮(八乙女神社)・表門神社の本殿 本殿は古墳の上に鎮座しているので石段を登りますが、折れた枝や葉が散らばっています。その多くが痛んでいるのは、先日通過した台風の影響ですが、下の境内ではその気配を全く感じませんでした。“標高差”5mの違いですが、独立峰のような円墳の形状とあって強く影響したのでしょう。
 本殿は、一部が大きく改修されているので、その色の違いが顕著でした。展望は参道側の一部しか利かず、蒸し暑さとカの襲来にこりて、早々に降りました。

八乙女宮(八乙女神社)・表門神社拝殿の向拝 再び拝殿の正面に立ちました。(子供の)「命名書」の半紙が、外壁の右半分に貼られているので、今でもそれなりに頼られているようです。しかし、背後の草丈が気になります。
 廻縁から見上げると、向拝のシースルーになった部分に竹の垂木に葺いた萱が見えました。観察した範囲内では全てが麻紐で縛られているので、釘や針金は使っていない造りとわかります。木部には赤い彩色の跡が見られました。

 甲斐國志刊行会『甲斐國志』から抜き書きしました。

八乙女権現白井河原村
(前略) 社記曰く表門神社也。祠後に藐焉(ばくえん)たる一丘有り。其頂上の石室深三間余・高さ五尺・広さ四尺、硯材の如き板石を重ねて三方に壘(塁)み巨石を蓋とし土を以て之を埋む。塁石甚(はなは)だ奇にして其巧緻(こうち)他の石室の比方(※例え)すべきなし。是亦(また)上世高貴の婦人を葬りし所なるべけれども今得て知るべからず。
 又本村長泉寺の流記(るき※記録)に、開基白林了明居士は何国何人なるを知らず。只高官の人と云い伝う。応仁元年正月十七日に逝(せい)す。八乙女権現と祀る本尊十一面観音は了明居士の守り本尊にて古は権現社地の傍らに一堂を営みして安置せしを、天文十一年今の地に遷すと云えども附會(ふかい※こじつけ)の説なるべし。墳墓の様子応仁頃の制に非ず、又男子にして乙女と称すべからず、其の守り本尊と云えるは本地仏を誤(あやまり)伝えしならん。
諏訪明神〕 則ち上下両社也古諏方と云う所より八乙女社中に移す。是本村の土神なるべし。昔は毎年七月廿一日西郡今諏方村へ神幸あり。一宿して翌日還御す。往返(おうへん※往復)とも中郡成島村八幡宮林中にて昼休みす。中頃より此の神幸は止みたれとも、今に至り成島村にては八幡林中へ仮屋を建つ。此にては村北諏方の社中へ神幸し、神主宅に一宿して翌日還幸し旧儀を存す。神主宮川大隅口拾五男八女七

 「八乙女現権は俗称で、表門神社である」とあるように、これを読む限りは、この神社と八乙女権現とは直接の関係はないことがわかります。読めば読むほど「八乙女」さんが“藐焉たる”存在になってしまいます。こうなると、古墳上に建てられた本殿とあって、「八乙女の行方」を「伏せている・秘している・隠している」のではとも思ってしまいます。諏訪でも古墳を祀る「女躰社」があり、「都から流れてきた高貴の婦人とその女官を祀った」という言い伝えがあるのでなおさらです。
 このサイトとすれば、やはり「諏訪明神」の方に注目すべきでしょうか。同じく「諏訪明神は八乙女社に移されて産土神になった」と読めます。表門神社の代表権を得たのか、あくまで八乙女宮・表門神社・諏訪神社のトロイカ体制なのか、これもハッキリしません。「7月21日に今諏訪神社へ出かけた。往復とも仮屋を作って昼休みをとった」も、今諏訪神社の主も諏訪明神ですから、…腑に落ちません。これは「八乙女が御射山祭の準備手伝いをするために出かけた」と(こじつけを)した方が無理がありません。
 また、ここへ来る発端となった「今諏訪神社の神輿の渡御」ですが、「今諏訪神社→八乙女宮」が、ここでは「八乙女宮→今諏訪神社」になっています。何かの歯車が抜けたり逆転しているように思えるのは、私の読解力のなさでしょうか。

成島八幡神社 山梨県中央市成島

成島八幡神社

 神社へ通ずる道が改修中です。神社前もまだ更地といった状態です。二ブロック手前に「若宮八幡神社」の標識があったので、この前に立つまでは不安でした。新しい社号標は無冠の「八幡神社」ですが、地図では「成島」なので「休憩処の成島八幡様」に間違いないでしょう。
 角柱の社号標の二面に「祭神と由緒」が彫られていました。

 創建は明らかでないが、八百年以上の昔から稲積の庄の鎮守氏神であり、社領五石三斗三合の黒印を頂く。慶長十四年八月、桜井安芸守・小田切大隅守連署の三ヶ条の禁制札があるのを見れば、昔は相当優遇されていたようである。
 明治六年郷社に列せられ、昭和二十一年宗教法人となる。
宮司内藤正夫謹書 

 社領に「升」が無く、おまけのような「三合」に首を傾げました。この三合を巡って「色を付ける・付けない」の攻防戦があったのでしょうか…。

成島八幡神社 本殿はやや古く見えますが、拝殿と玉垣は基礎から新しく、境内の木も植え替え直後で養生中のものが見られます。道路の拡幅に合わせて大きく移転したのでしょう。
 鳥居と「寛保元年・當村杉野氏」と彫られた手水鉢・境内社の石祠だけが古色があるという八幡神社でした(後の調べで、本殿の建て替えは昭和37年で、拝殿と本殿の中間にある6畳大の社殿が幣殿であることを知りました)。

成島八幡神社の扁額 帰りの境内一巡で、境内社に並んで置かれた石碑に気がつきました。その形状に思い当たることがあるので読んでみると「八幡宮」です。改めて鳥居を観察すると、やはり、それは鳥居額一体型の額束でした。貫が新しいことから、古い貫が折れて落下した際に、支えを失ったこの額束も落ちたのでしょう。額の下部が破損している状態から、そんなことを推理してみました。

 これで、御射山祭の神輿渡御に関わる神社の巡拝が終わったのですが、渡御は遙か昔に廃絶したこともあって、休み所の八幡神社を除く「今諏訪神社と八乙女宮」の繋がりがスッキリしません。もっとも、両社の関係を頭に置いての参拝でなければ、由緒を読んでも「そうですか」と何の疑問も湧かないでしょう。

 甲斐国志刊行会編『甲斐國志』から、〔八幡宮成島村〕です。由緒と重複する部分は省略しました。

(前略) 社記曰(いわく)祭禮(礼)は八月十五日なり、七月廿二日は昔八代郡白井河原村諏方明神巨摩郡今諏方村へ神幸あり、其節當(当)社御休場と為る、其の神幸絶えて年久しけれども今も當日には杉葉を以て假(仮)屋を作り神供酒肴等を献ずと云う、正殿三間九尺・拝殿梁間弐間桁間四間半・随神門神像の背に文正二丁亥年正月吉日願主豊後守信吉作人豊後吉信孫八と刻せり、石鳥居等あり、(中略) 神主内藤日向口七男三女四

 ここにも「諏訪明神が、今諏訪神社へ神幸する」と、今諏訪神社境内の由緒とは逆のことが書いてあります。どちらにしても「諏訪明神を祀る神社に諏訪明神が行く」ことになりますから、何か変です。
 また、「杉葉をもって仮屋を作り」は、御射山社の「ススキで穂屋(仮屋)を作る」に通じます。ここでまた御射山祭が浮上しましたが、…引っ込めます。これは山梨の事情でしょう。御射山祭に、旧「上今諏方村・成島村・白井河原村」三村の交流イベントが習合したと言ったほうが良いのかもしれません。土地の人なら「この三村の繋がり」を明かすことができるかもしれませんが、私は、離れ過ぎて共通点がない「三社」を地図で見詰めるだけです。

 自分で書いていて「まとまり(引っ込み)」がつかなくなりました。「八幡神社神主・内藤日向の子孫は現在の内藤宮司でしょうか」で終わらせることにしました。


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