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下の宮諏訪神社の「御射山社」 飯田市松尾上溝 '20.8.15

下の宮諏訪神社と御射山社

 上溝(あげみぞ)御射山社で紹介した〔一、御射山社〕の一部です。

 八幡原の北端、鼎町に面した所に上溝の御射山社があるが、これは島田村にあった諏訪社の御射山社であったと考えられる。長徳年間の勧請という。伊賀良庄から諏訪本社に奉献する猪鹿の頭をここに集めたという伝承がある。島田村の諏訪社は早くなくなってしまって跡はわからない。
松尾村誌編集委員会『松尾村誌』〔神社・仏閣・民間信仰〕

 摂社の御射山社ならともかく、本社の諏訪社が廃絶し、その跡も不明というのが不思議です。
 まずは、下の宮諏訪神社と上溝の御射山社の位置関係を、Googleマップ上に表示させてみました。因みに、ここで言う「下の宮諏訪神社」は、移転(遷座)前の旧跡地です。また、関係ありそうな上溝の御社宮司社と、上溝地区の中心地として集会所(公民館pointも示してみました。


所在地不明の島田村諏訪社は、下の宮諏訪神社だった

 諏訪広域図書検索システム『諏訪ズラ〜』で検索すると、諏訪市図書館に、まさかの『松尾村誌』がありました。どんな伝(つて)で蔵書に収まったのかを調べるのも面白そうですが、さっそく借りて通読してみました。
 すると、まさかの記述がありました。以下は、〔嶋田村古社寺書上帳〕から関係する部分を抜粋したものです。

三冊の書上帳をあげておく。…御射山明神は上溝の御射山、 (中略)
 寛保四年の社寺には小字がついているから、各耕地毎に検討研究していただきたい。庄内一大明神は代田の下の宮であるなど地主の名より推しはかるのもいい。
◎嶋田村寺社堂書上ヶ覚(宝永四年/1707)

一、下宮明神

但 祭礼勤行 毛賀村 主膳

一、御射山明神

◎覚(寛保四年/1744)

一、原 御射山神社(高サ二尺五寸)

祭礼 七月廿六日 大平伊賀守相勤申候

一、下宮 庄内一大明神社(四尺五寸)

祭礼 七月廿五日 毛賀村善右エ門相勤候

◎嶋田村神社書上覚(宝暦九年/1759)

一、御射山明神社 上ノ原

社人 大平丹治

一、庄内一大明神 下ノ宮

祭主 毛賀村 井原健次郎

松尾村誌編集委員会『松尾村誌』〔神社・仏閣・民間信仰〕

 庄内一大明神が、別称の「下宮下ノ宮」からも、現在の「下の宮諏訪神社」であるのは間違いないでしょう。これで、「御射山社を探せ」とする命題を画策する前に、「上溝御射山社に対応するのが下の宮諏訪神社」と答えが出てしまいました。
 しかし、同じ『松尾村誌』にある相反する記述と、両社の距離がやや離れているのが気になります。後者は、「島田村は、代田から上溝まで南北に長い村だった(造営当時は一つの領地だった)・間に鳩ヶ嶺八幡宮という大社があり、直近の段丘上に(山宮である)御射山社を造営できなかった」とすれば説明がつきます。
 いずれにしても、毛賀の諏訪神社が上社系で、下の宮諏訪神社が下社系であることは間違いないでしょう。