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上溝御射山社 飯田市松尾上溝 1.7.28

 飯田市に、「諏訪神社−御射山社」ならぬ「御社宮司神社−御射山社」の形態があったことに驚きました。2回に分けて報告するので、ミシャグジファンの皆さまは(がっかりする可能性もあるので)期待せずにお待ち下さい。

上溝(あげみぞ)御射山社

 郷土誌二書から、「御射山社」に関係する部分を抜粋しました。

一、上の城御射山社 長徳年間勧請せしと云う。
 備考
伊賀良庄の内嶋田郷の人民より諏方本社に奉納する猪鹿頭及び米銭などは此神社内に於て取り集むるを例とせり、嶋田郷は北方、殿岡、竹佐、山本、伊月、北関、南関、中関、上川路、毛賀、中村、駄科、下川路、中切、今田島、島田とす、
 天正十八年迄此取り集め続きしが其後止みしという、然れども慶長元年十月頭役御符米造営三役残らず米にて十俵一升と定むとの事実見え、又同年より七年に一度宛米を集めて出せし旧記もあれば絶対に止みしにあらざるべし、
毛賀史編纂委員会『毛賀史』〔神社〕
一、御射山社
 各地に勧請された諏訪社でも諏訪本社と同じく御射山祭を行った。(略)
 八幡原の北端、鼎町に面した所に上溝の御射山社があるが、これは島田村にあった諏訪社の御射山社であったと考えられる。長徳年間の勧請という。伊賀良庄から諏訪本社に奉献する猪鹿の頭をここに集めたという伝承がある。島田村の諏訪社は早くなくなってしまって跡はわからない。
松尾村誌編集委員会『松尾村誌』〔神社・仏閣・民間信仰〕

 それぞれが、「上の城」と「上溝」を冠した御射山社を書いています。しかし、共通する「島田・伊賀良・猪鹿頭・長徳(元号)」から、上の城=上溝で、どちらかが間違い(または誤植)となりそうです。

 その御射山社を参拝しようとする者にとっては悩める相違ですが、『松尾村誌』に載る添付写真には送電線の鉄塔が写っています。これがヒントになり、以前よりその鎮座地に関わるキーワードとして注目していた「御射山獅子塚古墳」の北辺に鉄塔を見つけることができました。同書の折込地図にある無名の鳥居とも一致するので、目的とする御射山社と考えました。

上溝御射山社参拝 1.7.21

 JR飯田線「伊那八幡」駅がありますから、余所者ながら飯田市で一番大きな神社と推定できます。その鳩ケ嶺八幡宮を参拝してから御射山獅子塚古墳へ向かいます。

御射山獅子塚古墳
国史跡「飯田古墳群」で最大の前方後円墳

 バイパス「アップルロード」の歩道から、「全長58m、未発掘の前方後円墳」という御射山獅子塚古墳を撮りました。墓地が写りますが、全景を収めるにはこの高台しかありません。
 事前のシミュレーション通り古墳の脇を通って御射山社への分岐に立ちますが、その奥は民家の庭先のように見え、近づくことさえできません。断念して直進しますが離れるばかりとあって、いったん戻り、地図でわかった県営住宅側から回り込んでみました。

上溝御射山神社 しかし、その入口から続くフェンスが境内への立入を阻んでいます。ところが、何と、人一人が潜り込める分だけ切り取られています。
 「これは器物破損ではないか、一体誰が」と思っても、私にとっては唯一の参道入口です。目撃者がいないことを確認してから、素早く境内に降り立ちました。写真では、後方のフェンスがそれです。

上溝御射山神社 祠を一瞥してから、「まずは正式参道を」と鳥居へ向かいます。隣家の敷地に背を向け、のけぞるようにするとその全景が入りました。
 改めて本殿の前に立ち、ここまで来られたことを報告しながら拝礼をしました。しかし、文字としての「御射山社」が確認できません。

 鳥居前の民家に声をかけると、当主の奥方と思われる年配女性が応対してくれ、御射山社と確定できました。次に、古墳の近くに久井天神社があったので、「ここは久井ですか」と問えば、「御射山社は上溝で、家が建っているのは久井」と返ってきました。また、「初めに家を建てた人が“ここは久井”と言ったので、今も久井と呼んでいる」との話から、行政区画が複雑になっていることが想像できました。

 御射山社を探索する中で見つけた御社宮司社へ向かいます。道中では地図に表示する古墳も見学することにしました。

御射山社は「上溝」

 行政区画「上溝」を調べ、まだ畑中の神社という昭和41年の航空写真に重ねてみました。関係ありませんが、古墳が前方後円墳であることがよくわかります。

御射山獅子塚古墳
国土交通省『国土画像情報』

 この特異な字(あざ)界の形から、“久井宣言”は別として、御射山社の社地が間違いなく上溝であることが確認できます。
 また、冒頭の『松尾村誌』では「島田村の諏訪社は早くなくなって」と書いていますから、本社諏訪神社は廃絶しても、今日まで御射山社を手放さないでいることになります。その理由は次回の「上溝御社宮司社参拝記」で明らかになりますが、この一連の流れに、「いやー、調べてみるもんです」と独り悦に入(い)りました。