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萩山神社の「御射山社」 下伊那郡高森町下市田 29.9.9

 高森町史編纂委員会『高森町史』〔神社〕から、[萩山神社]の一部を転載しました。

(五) 御射山社
 萩山神社の御射山祭は、今は本社の例祭日の前日すなわち九月二十八日に執行されているが、昔は七月に行われた。昔の祭事の詳しい模様はわからないが、市田郷内はもちろん山吹の諸武士もことごとく諏訪大明神に参集して祭儀を執行し、所謂(いわゆる)松岡八十騎の面々が、馬上ゆたかに騎馬道を馳せて御射山に向う。神の狩猟地に着いた騎馬武者は、矢叫(やさけ)び雄々しく鳥獣を狩りたてる。こゝで射取った獲物が、新しく薄の穂で葺いた社前に供えられる。祭儀が終れば再び騎馬武者が勢揃いして騎馬道を下り、本社の祭典を厳修した。
 当社の御射山祭はその後永く受け継がれて、今日でも尚本宮萩山神社の西方台地上の社叢内に、毎年薄の穂を以て新しく葺かれた社殿で執行されている。古来由緒深き祭典が、神官・氏子総代の外に、一部特志の老人たちによって続げられている。
問い合わせたら、平成29年は9月9日でした。

御射山社参拝 29.8.27

 萩山神社には、駐車場が用意されていないことが濃厚になりました。取りあえず鳥居前のスペースに車を突っ込んでみましたが、降りて眺めれば、やはり罰当(ばちあ)たりの構図です。しかたなく、周囲の状況を見定めながら、先に御射山社へ行ってみようということになりました。

 カーナビに導かれて(どこをどう走っているのかわからぬまま)、中央自動車道や「南信州フルーツライン」とある伊那南部広域農道が走っている台地上に出ました。ところが、そのナビは広い舗装道路を無視し、果樹園の中に延びる私道とも思える1.5車線幅の道を指示します。「何を好んで」と思いましたが、後に、ナビの地図が古いことが判明しました。「長野県南信農業試験場」が拡充する中で、新設の道路が整備されたのでしょう。

萩山神社「射場屋舎」 案内柱「高森町無形民俗文化財 萩山神社御射山祭」の説明文をメモ代わりに撮ったものですが、この景観に「左方の林は台地上の縁(へり)に連なっています」と説明を入れました。
 とてもそのようには見えませんが、地図の等高線では、林の向こうは急傾斜地になっています。ということは、河岸段丘の上にあるのが御射山社ということになります。

御射山社の案内板

 記念に植えたという榊の照葉樹が、寒冷な諏訪と違う社叢を作っています。「その奥に鎮座しているのが御射山社」と言ってもただの仮屋ですが、この写真では、その背後が白飛びしています。その原因は、八月終わりの日射を反射させている「JAみなみ信州市田柿工房」の大きな壁です。御射山社にはふさわしくない景観ですが、これも時代の移り変わりと言うしかありません。

萩山神社「御射山社」 後一ヵ月という寿命を持つ、ススキで葺かれた御射山社です。傾いている幣帛ですが、その白さはまだ保っています。
 案内柱で9月27日が御射山祭と知ったので、その日に再拝しようと、今日は早々に背を向けました。何しろ、腕はおろか、指先にもたかる蚊が気になります。

高森町歴史民俗資料館

 萩山神社へ戻る途中に、「井伊直虎ゆかりの地」とある幟が立った「道の駅」がありました。駐車場に使えそうと引き返してみれば「時の駅」で、高森町歴史民俗資料館の(意味不明ですが)別称でした。元々「資料館で萩山神社の史料が閲覧できるはず」と予定に入れていたので、タイミングよく叶ったことになりました。

萩山神社「八幡社」
…古墳址 

 壁に、高森町の地図が展示してあります。萩山神社と御射山社の位置関係に目をやると、薙鎌ならぬ(薙鎌の誤伝とも思える)「鎌薙」が…。「御射山」もあるので、なんかこう、一人で盛り上がってしまいました。こうなると、暑さも何のその、現地へ行ってみようという食指が動きます。ところが、凡例を確認すると、…今は実体が無い古墳でした。しかし、附近の小字(こあざ)から採った名称であるのは間違いないでしょう。

 次に広範囲で眺めると、萩山神社の参道から始まる傾斜が、典型的な天竜川の河岸段丘であることがわかります。また、当時の草木がどのような状況であったかは知る由もありませんが、前方後円墳にも似た方形の広い台地の両脇を刻む深い谷沢を利用すれば、諏訪の古文献に出る狩に最適な地形であることに気が付きました。
 ここで『Google Earth』を用意しましたが、あくまで“疑似3D”画像なので、高低差がわかりにくくなっているのは否めません。

御射山社と萩山神社

 こうなると、中世の矢崎祭(御座石神社例祭)で奏上された〔御狩之事申立〕の一節が浮かんできます。

 その時は二言三言しか思い出せなかったので、武居正弘著『年内神事次第旧記』から、「千鹿頭神以来の伝承を踏まえた祝言である」と注釈があるその一部を転載しました。ここでは、神が行う狩なので「弦が無い弓と矢尻がない矢」となります。

神長殿すハきか原にたつ(※見張り)立て、かよくり(※谷間の急傾斜の場所)を真直様(まつたれさま※真っ直ぐに落(おつ)る鹿を、弦(つる)もない弓にて、尻(しり※矢尻 もない矢を持ちて、千頭(せんつ)の鹿を止(とど)め。

富本銭

 高森町歴史民俗資料館の受付前に立った際に、並んだリーフレットの一枚に「富本銭」の文字と写真を見て、富本銭が見つかったのが「高森町」だったこと思い出しました。これによって、富本銭が出土した武陵地1号古墳を訪れたのは言うまでもありませんが、これは日を改めて紹介することにしました。