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萩山神社 下伊那郡高森町下市田 29.9.15

下伊那郡下條村高森町 諏訪の3市2町1村なら、よどみなくその相対位置を言えます。しかし、上伊那(郡)から下伊那(郡)にかけての町村は、名前は挙げられても、その場所を指摘することはできません。ネット地図をスクロールしたら、高森町は、飯田市の“上”にありました。
 また、町内にあるJR飯田線の駅「市田・下市田」から、あの超高級干し柿「市田柿」の生産地が高森町であることを知りました。

 高森町史編纂委員会『高森町史』〔神社〕から[一、萩山神社]の一部を転載しました。

 当社に関する江戸時代の文書には、多くは諏訪大明神(或いは諏訪大明神の宮)と書かれており、又誉田別命も合祀されているので、下市田村八幡宮と書いたものもある。
 萩山神社と称せられたのはいつからであるか。明治三年十一月に下市田村三役人から伊那県役所へ出した屋根葺替後の御遷宮届書には「私共村方八幡宮」とあって、まだ萩山神社の名称は用いられていない。しかるに、明治十五年調査の神社明細帳(下伊那地方事務所所有)に「下伊那郡市田村字古瀬村社萩山神社」とあるから、それ以前の改称であることが知られる。
(一)創建
 本社の創建につき、神社明細帳(萩山神社所有)によれば、「一、祭神建御名方命、寿永年間松岡帯刀創立し」とあり、
(中略)
 松岡帯刀は同氏第四代の当主で、武運長久と領内平穏を祈念して、諏訪大明神を勧請して一社を創立した。
 創立の当初は諏訪神一柱が祭神であったが、鎌倉時代には幕府に勤仕し、屢々(しばしば)鎌倉に参向したので、源氏の崇敬が最もあつかった鶴岡八幡宮の神霊をその領内に勧請し、諏訪社に合祀したことは極めて自然なことと思われる。八幡社の由緒に「創立年月不詳、弘安年中本社と共に焼失」とあり、弘安年中(一二七八−一二八七)以前に既に勧請されたことを示している。

萩山神社参拝 29.8.27

高森町の市田柿 高森町歴史民俗資料館には「市田柿の歴史」を展示したブースがありますが、萩山神社には関係ないのでスルーしました。

 ここから萩山神社までは約1Kmと踏み、現在位置を表示させたスマホを片手に向かうと、マンホールに「市田柿」があしらわれています。これも関係ありませんが、何かの縁と紹介することにしました。

萩山神社

 「山際」と言うと正確ではありませんが、そのように見える場所までやや傾斜のある参道を踏みしめます。

萩山神社
弐之柱壱之柱

 実は、帰り際に振り向いて、萩山神社にも御柱があることに気が付きました。改めて眺め、探しても見当たらないことから、ここでは「二本御柱」と理解しました。資料館でコピーしてもらった『高森町史』では、「(六)御柱」に「御柱に関する古い記録は見当たらぬので昔のことはよくわからないが、(中略) 御柱は一抱えもある太さで三丈三尺余の松ノ木である」とありました。

萩山神社
 荒神社諏訪社八幡社

萩山神社蟇股「梶の葉」 拝殿の屋根に「五三桐」が見えたので、取りあえず創建者である松岡氏の家紋としました。
 諏訪社本殿の大棟も「五三桐」であるのを確認してから、身舎正面の貫にある蟇股を確認すると、…「梶の葉」です。

萩山神社蟇股「鹿にモミジ」 その前に位置する向拝柱の貫を眺めたら、「鹿にモミジ」でした。
 こうなると、萩山神社と同じ「諏訪社+八幡社」である御射山神戸八幡神社(諏訪郡富士見町)の「鹿と鳩」がここにもある可能性を思ってしまいます。

八幡社「鳩と橘」 さっそく右側にある八幡社を確かめると、胡粉(ごふん)と思われる塗料が剥げ残っているためか立体感がなく、「太った鳥」としか認識できません。
 「まー、八幡社だから鳩に間違いないだろう」とし、左が逆様になっているので“昇鳩・降鳩”を意匠したものとして、制作者に(心の中で)拍手を送りました。また、同じ「諏訪社+八幡社」である大山田神社(下條村)や古城(ふるしろ)八幡神社(阿南町)の例から、「鳩に橘」と考えました。左側の荒神社を確認するのは忘れましたが、こちらは明治後期の合併なので、関連はないでしょう。

御頭社と社護社

 境内社群が幾つかありますが、写真としては、左方にあるこの四社に代表をお願いしました。各祠には、社名を書いた木札があります。

萩山神社「末社」
社護社御頭社

 右端の「御社」は、前出[萩山神社]の「(八)末社」では、「御社…建御名方命。諏訪大社より七年毎に御符を受く」とあります。半開きの戸から、まだ白さが際立つ大きめの幣帛が見えましたから、去年授与されたものとわかりました。
社護司社 「社護社」は、扉の前に置かれた木札には「奉再建社護社」と読めました。
 参拝時には「これはミシャグジ」としましたが、同書に「社護社…社宮神」とあり裏づけができました。


射場屋舎

 「(八)末社」では「矢場…同(本殿)左方にあり、射場屋舎あり」としかないので、詳細は不明です。

萩山神社「射場屋舎」 正面に「金的中」の奉納額が掛かっています。江戸時代から昭和の元号が見られますから、その頃は盛んに奉納弓技大会が行われていたことがわかります。八幡社ですから成るほどと合点しましたが、萩山神社には御射山社もあるので、どちらとも言えないことになりました。

萩山神社「奉納額」 舎内の四方には、奉納額に「叶大関・叶関脇・叶小結」として、弓が掛けて(またはその跡が)あります。
 当郡「花の里・藤里」などの四股名があるので、地元の力士が出世を祈願するために奉納したものとしました。「嘉永・弘化・天明」とあるので、明治初期までは盛んに奉納されていたことがわかります。