諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪神社メニュー /

清川諏訪神社 佐久市清川  31.1.12

■ 「山田村・北沢村・清川村が合併して常和村」とあるので、「清川(きよかわ)諏訪神社」としました。

 去年の話になります。新海三社神社から山田神社へ向かう県道120号線をグーグルマップで追うと、途中に「新海神社」があることに気が付きました。新海三社神社の分社としての存在を知りませんからストリートビューで確認すると、確かに鳥居と社殿があります。
 長野県神社庁のリストにありませんから、社殿の大きさから巻(まき※同族)で祀っている神社と考えました。

清川新海神社参拝 30.11.2

清川諏訪神社

清川諏訪神社 社殿の右側に大石があります。その上に登って見下ろしたのが、この景観です。
 新海神社以前はこれを磐座として祭祀していたことが想像できる大きさです。しかし、下から見上げた一枚を撮ることを忘れました。

清川諏訪神社 新海神社は「三間社流造」に浜床が付帯しているが基本です。ところが、ここでは一間社が「相殿」という造りでした。
 これが「ここは新海神社なのだろうか」との疑問となって後を引くことになります。というのも、境内には「新海」の文字が見つからなかったからです。

清川諏訪神社 覆屋の格子で本殿の造作がわかり難くなっていますが、大棟に新海三社神社と同じ「立ち梶の葉」紋が確認できました。
 しかし、鳥居に額がなく案内板もない状態では、地図に「新海神社」とあっても、ネットで紹介するには不安が残ります。

 神社前で待機していると、散歩中と見える夫婦連れが現れました。すかさず問うと「新海三社神社の分社」と裏がとれました。しかし、まだ相殿という造りがマッチングしません。

 「清川新海神社」をまとめる中で、旧清川村となる字「清川」は、新海三社神社がある旧田口村とは隣村という位置関係と知りました。本社の影響を強く受けたと考えれば、清川新海神社の本殿は、新海三社神社の祭神「建御名方命・事代主命(合祀/誉田別命)」の形態を忠実に再現した社殿と言えます。また、誉田別命を合祀する以前の、分社では最も古い形態ではないかとも思えてきます。ただし、これは現在の様式です。それ以前はどんな社殿だったのかはわかりません。

新海神社は諏訪神社だった!!

 『南佐久郡誌』に〔清川村〕があるかもしれないと開けば、合併後の[常和村]しかありません。仕方なくその常和村の[社]を参照すると、諏訪神社がありました。

諏訪神社 村社(以下抜粋)
本村清川組より亥の方字清川にあり、祭神健御名方神・事代主命神、創建年月不詳、祭日八月二十八日、大槻数株あり、

 ここに、鎮座地が「清川組より亥の方字清川」とあります。地図で見ると新海神社は清川集落から亥の方角(北西微北)にあるので、新海神社として参拝した神社が諏訪神社ということになりました。ただし、明治14年の書上なので「当時は諏訪神社だった」とすることもできます。
 改めてグーグルマップを開くと、いつの間にか新海神社が消え「清川農村公園」を表示しています。他社の地図はどうなのかと確認すれば、何れも「新海神社」です。

 ごく最近に、グーグルマップが修正されていたことになります。これをもって、[常和村]に書かれた祭神二柱の諏訪神社と本殿の相殿仕様から、私も「諏訪神社」としました。参拝時に感じていた疑問が完全に払拭されたことになりますが、何ともスッキリしない参拝記となりました。

 この諏訪神社は、旧清川村の人々が祀る法人化されていない神社という位置付けになります。神社庁に改称届けをする必要がありませんから、地元では新海神社として通っていることが想像できます。