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中田諏訪神社 福島県会津若松市湊町中田 29.5.14

 福島県に鎮座する守屋神社を探す中で、猪苗代湖畔に諏訪神社があるのを見つけました。水面に鳥居の影を落とすことはなくとも、海や湖沿いにある神社は独特の雰囲気があります。それが諏訪神社とあっては、もう見逃すことはできません。今回の巡拝コースに組み入れました。

 『新編会津風土記』に載る〔中田(なかだ)村〕から、諏訪神社を、平仮名に直して転載しました。

村社 諏訪神社 境内東西四間南北三間免除地 村北六町北山の麓湖水の岸にあり、前に鳥居崎とて二町計の出崎あり、何の頃にか鵜浦聖親 古蹟の條下に詳なり 勧請せりと云、鳥居あり、原(村)丸山主計が司なり、

 ここでは、「湖水の岸にあり・前に鳥居崎あり」と書いているので、一目でわかる地図を用意しました。
 また、丸山主計(かずえ)なる神官が度々登場するので、この時代では猪苗代湖西部一帯の村々を管轄していたことがわかります。


 隣村〔篠山村〕の[山川]に、関連するものがありました。

材木巌 (前略)又中田村の東にあり、両所ともに昔磐梯明神(ばんだいみょうじん)の作れる處なりとぞ、相伝う、明神一夜の中に湖上に石橋を架せんとせしがいまだ成らざるに、夜明けければ其儘(そのまま)棄置(すておき)せしと云、

材木山
諏訪神社から見た材木山

湖畔の神社「中田諏訪神社」 29.4.19

 猪苗代湖畔を県道376号で南下しました。シーズン前とあって、対向車も追従車もありません。諏訪湖と違って湖面まで山が迫っているので、その斜面には残雪がありました。喜多方市から会津若松市の間では桜を見ていましたから、猪苗代湖は春まだ遠しと感じました。
 私としては場違いそのものという、陸(おか)に並んだ大小様々なクルーザーやヨットが現れました。すぐ先が入り江で、数艘のヨットが停泊しているのを見て納得しましたが…。

中田諏訪神社
駐車した場所から望む諏訪神社

 神社の赤い屋根を見つけましたが、駐車スペースがありません。道の分岐にある空き地に駐めて戻ると、大きなログハウスが「中田浜マリーナ」の事務所とわかりました。その前を、時にはヨットを避けながら小道を伝いました。

中田諏訪神社拝殿 拝殿・本殿とも完全に密閉されており、いつもの“小穴”から拝観する手が使えません。外観を撮るだけに留めました。
 この日は、ヨットのマストが傾くほどの強風が吹き荒れていました。この写真は太陽の恩恵を受けていますが、すぐに影がなくなり、肌寒い中での撮影となりました。

中田諏訪神社「額束」 拝殿脇に石碑があります。よく見ると鳥居の額束(がくつか)でした。鳥居を再建した際に、先人が成した業績を記念として残したのでしょう。中央の「諏訪」が、この神社が諏訪神社であることを唯一表していました。
 右側が、会津ではよく見られる「鬼渡」です。左は、補修の跡で「天○」としか読むことができませんでした。これは、後に『新編会津風土記』の続きに「相殿仁座 鬼渡神 本村より移せり、伊勢宮 端村松崎より移せり」とあり、「天照」と確定できました。

中田諏訪神社(中田浜マリーナ)

 境内の端から、中田浜マリーナを見下ろしました。地図では右方の集落が「鵜ノ浦」です。この諏訪神社を勧請した鵜浦聖親の名が字(あざな)として残ったのか、聖親がこの地の呼称を名乗ったのか、通りすがりの身ですが、少しだけ鵜ノ浦の昔に思いを馳せてしまいました。

鳥居崎(中田諏訪神社) こちらが本来の参道とわかった急な石段を下ると、湖辺に積んだ石垣で造成された平地があります。鳥居があるので、この続き(手前側)が「鳥居崎」ということになります。
 当時は趣味で舟を操る人はいませんから、この入り江は漁港として使わ、豊漁と漁民の安全祈願のために諏訪神社をここへ勧請したと考えてみました。

 ボートが置かれているので私有地とも思えますが、その中を諏訪神社へ向かっている裸地を、私は参道としました。その復路で、同じラインを、中田浜マリーナの関係者と思われる男性がこちらに向かってきます。若干の危惧を感じ、私から挨拶の声を掛け、すかさず「今、諏訪神社に参拝してきました」と伝えました。この時期では、誰が見ても私は不審者です。
 地上に並べられた見本市ほどの種類と数の疑問を問うと、(このマリーナは)船舶の修理と販売、それに保管を業務としていると返ってきました。少しだけの会話でしたが、桜の開花はゴールデンウィークの頃とわかりました。今年の状況では、それよりかなり遅れるでしょうか。

 冒頭の「材木巌」は、材木山にあると睨みました。しかし、ハンドルを握りながらでは、柱状節理の岩肌を確認できないまま通り過ぎることとなりました。